現代は、色々な人や存在達が、
「つらかったら逃げてもいい」とか、
「頑張らないで、やめてもいい」
「ガマンしなくてもいい」
といった「許可」を与えてくれる活動をしてくれています。
これは今までの一方的で画一的なやりかた、生き方、教育といったものに対する「NO」であり、現在は反動期であり、過渡期です。
気づきや言葉によってラクになったという人も大勢おられると思います。
今回はすでに「ラクになったから、自分の経験を活かして他者を苦しみから開放してあげたい」と思うようなかたに向けてお話いたします。
もくじです☆
1◆ ラクになる「許可証」は人それぞれ
2◆ 「自分だけが正しい」という怒り
3◆ タイミング
4◆ 大きな地図を見る
5◆ おわりに
今回は全体的に短めにまとめることだできたと思います(^_^)
それではどうぞ。
1◆ ラクになる「許可証」は人それぞれ
歴史とは、精神性に関しても常に進化していくものであり、現在も過渡期ですので、ラクになったという人の場合で、もしもアドバンスなステージに行きたいと思うのであれば、次のことを心がけてみることをお勧めいたします。
それは「自分がラクになった方法に拘泥しないこと」です。
つまり、「ラクになるには色々な方法がある」ということを知って認めるということです。
そのようにすでに気をつけているというかたもおられるかもしれませんね。
人は、気が付かないうちに、どうしても自分の人生経験に執着してしまうということがあるものだ、ということです。
自分の人生経験が大変つらかったとか、あるいは成功体験がとても嬉しかったという実感があるために致しかたがないことではありますが、中には「自分の方法こそが正しい」「自分のやりかただけが正しい」と思い込んでしまう場合もあるものです。
せっかくラクになって、それを活かして生きていこうと思っているのであれば、もったいないことです。
2◆ 「自分だけが正しい」という怒り
「自分のつかんだことだけが正しい」と思いこむことで、善意で、全力で伝えているのに、それが当てはまらない他者がいた時に「怒り」を感じる人もおられます。
この「怒り」は、正しいはずの自分の方法が否定されたとか、自分自身を拒否されたといったような、無自覚に持っていたネガティブな信念が発動するために起こります。
すでに現在ヒーラーであるとか、目指しているとか、そうではないが親であるとか、上司であるといったように、他者を指導する側に立っていたり、またお友だちの相談事を聞く機会が多いというような皆様の場合も、
「もしも自分の助言が当てはまらない人がいたとしても、その人は自分の助言や自分自身を否定しているのではない。この人にとっての正解ではなかったのだろう」
といったように思ったらいいのではないかと思います。
「自分がラクになった方法や言葉だけにとらわれない」ということは、具体的に言うと、
例えば冒頭に挙げたような「つらかったら逃げてもいい」ということに対しては、逆に「つらくても逃げないことが正解だった」という人もいる、ということを知っておくということです。
また、「頑張らないで、やめてもいい」ということに対しては、「頑張って、続けることが正解だった」というシチュエーションもあるということです。
そして「ガマンしなくてもいい」ということに対して、「ガマンして正解だった」という場面もある、ということです。
混乱しますかね(;^_^A
こういった違いは、わたしたち一人一人の感覚や表現のしかた、体験したいことといった目的などが異なるために生まれます。
とは言え共通していることは「個人の魂や人生の設定(宿命;テンプレートレベル・リアリティに書かれていること)と一致していくに従って、人生が自分らしく面白いものになる」ということです。
こういう共通点はあるものの、一体どのようなものが「本来のその人らしさ」からズレさせていて、何がズレを修正してくれるのかは、本人にしかわからない、ということなのです。
他者に助言を求められた時には、お話をじっくり聞きながら、あらゆる可能性の中からその人にとっての最適解を絞っていくというやり方も良いでしょう。
「正解」は、助言を求めてきたお相手の胸の中に「それだ!」とわかるような具体的なものがある場合もありますし、また具体的なものがなく「とにかくどうしたらいいのかわからない」という場合もあります。
対象が自分にとっての「許可証」になるかどうかは各人の感覚が教えてくれるものです。
いったん“仮そめの快”を感じる領域を通らなければならない時もありますが、相手の人が心から「ラクになった」と実感することが正解なのであり、言葉や方法はこちらが決めたり強制したりできるものではありません。
3◆ タイミング
そして「タイミング」というものがあることも覚えておきましょう。
ヒーラー側がその人にとっての正解をお伝えしたのに、お相手のかたがピンと来なかった、ということはよくあることです。
「だから言ったじゃ~ん!」と言いたくなることもあるかもしれませんが、その人にとって何かもっと色々な経験や熟成期間が必要だった、ということは多いものです。しかもタイミングが今回ではなく次の人生にてやってくるという人もおられるため、気づきや成長といったものの速度やタイミングも人それぞれなのです。これも無理強いできない神聖な領域ですので、愛をもって見守り、そのかたの幸福を祈りましょう。
4◆ 大きな地図を見る
と言っても、「自分が確かにラクになった」という個人的経験は自分にとって大変重要なものです。ですので自分で自分の経験を大切に捉え、尊重しなければなりません。それは他者さまにおいてもまったく同様なのです。
ではどうしたらいいのかと言うと、「人それぞれ!」で終わらせてしまうのではなく、自分の経験は唯一無二の尊い経験であるという個人的な独自の視点を持ちつつも、自分の経験をも俯瞰して「人類全体の心理」という大きな地図を見る、ということです。
自分の経験とは、「人類全体の心理」という大きな地図を見るための実感を伴った大切な手がかり、といったポジションである、
という自覚を持つと、自分のことにも、また他者のみなさんの様々な事例にも感情移入しすぎずに、また「自分とは異なるもの」と切り離すなどして軽んじたりすることもなく、冷静に核心を見極めることができるようになる確率が高まっていきます。
5◆ おわりに
人はどうしても個人的な失敗や成功といった自分の経験に、他者を当てはめて自己確認をしたいという欲求があることがありますので、そのようにすることはしかたのないことではあります。ですが、自分の強い失敗経験や強烈な成功体験とは、無いよりは大変頼もしいものではあるのですが、一方で視野を狭める可能性も孕ませることがあるものなのです。
先述のように現在も、いつだって常に「過渡期」に過ぎず、人間の精神的な成熟への歴史はこれからもずっと続いていくのです。しかし、「過渡期」に過ぎないとはいえ、過去に比べれば、自分らしく在ることを許すための色々な「許可証」が聞かれるようになった現在は、自分さえ手を伸ばせばとても生きやすくなっていく可能性が高まってきている時代であると言えます。
「自分の失敗体験や成功体験だけにこだわらない」という意識を持つと、もっと自由になることができます。しっかり身につくと色々な囚われから開放されますので、「昔は生きていてつらかったけど、今はラクになったな~」というかたは良ければお試しください
(^_^)
ではまた・・・。