今回は「“仮そめの快”シリーズ」第1弾という位置づけでお伝えします。


 以前『何もしたくない!私って怠け者なの?』(こちら)でお伝えした内容について、あれから自己チェックしてみたというかたもいらっしゃることと思います。しかしやはり何だかピンと来ないとか、あるいは「書いてあったようなネガティブな信念体型を統合できたけれど、それでもやっぱり動けない」という場合もあるのではないかと思います。


 「使命」だったり、「本当の自分らしさ」だったりを生き始めた時、「ものすごく眠い」とか「何故だかとてもしんどい」といったように身体的な状態が一時的に変化することがあります。しかしこういった場合は今回の題のような「どうしても動けない」という状態ではないな、となんとなくわかるものですので、今回扱う「それでもやっぱり動けない」といった内容とは異なっています。


 だとしたら、ひょっとしたら、
もう「えいっ」と行動してみるという選択をすべきタイミングだということなのかもしれません。


 つまり「やる気のスイッチ」とも呼ばれている脳の側坐核(そくざかく)を刺激するということが最後の一押しになる状態であるかもしれないということです。それは具体的に言うと「ほんのちょっとだけやってみる」ということです。側坐核に関しては色々なかたが詳しく説明してくれているので、ここでは省きます。


 以前お伝えした内容をクリアしたにも関わらず、「ほんのちょっとだけやってみる」ということすら何だかできない、という場合であれば、もしかしたら「先延ばしにする習慣」が身についてしまっているせいなのかもしれません。

 
 ほかの可能性としては、普段から思考過多で生きているために、雑務・雑用といったものに思考が引っ張られている(気になっている)ために、やりたいことについてのインスピレーションが来たとしても直感で行動できない状態となっている場合がありますが、しかしいずれにしても「思い立ったら即行動」ができない自分に対して疑問を抱いているという状態であることに違いはありません。


 ここで、一部の人にとっては重要なことなのでレアケースを一応お伝えしますと、重度のトラウマから回復する時には「動けないだけでなく、まるで自ら自分の回復を(はば)んでいるかのようだ」というような「意味不明・理解不能」な行動をとる場合もあるのですが、これに関しては周囲は「信じて見守る」のが良いでしょう。こういったことはネガティブな信念からの最後の抵抗なのです。ご本人も不安でしょうけれども、自分が確実に回復してきた点にだけフォーカスし、自分を励ましましょう。今の姿は過程であったとわかる時が必ず来ます。



 さて「先伸ばし習慣」についてスピリチュアル的な言い方でお伝えしますと、「眠り」と呼ばれる方向に向かっていることとなります。


 「先延ばし習慣」が身についてしまう原因には、例えば以前お話したネガティブな信念がきっかけとなったいうことがあります。代表例として「できなかったらどうしよう」といった「失敗への恐れ」といったものがあげられます。こういった「恐れ」が、どんなに自分にとって大切なことであったとしてもそれを実行する意欲を()いでしまうのです。


 「眠り」の方向に向かっている人は現在でもたくさんおられます。そこから抜け出そうとしているかたもたくさんおられます。「眠り」から抜け出すために皆様にあらかじめ知っておいて頂きたいのは、人生をあきらめてしまったとか、そもそもやりかたがわからないといったように理由は様々あるのですが、いずれにせよ内省せずに「眠り」を選択し続けてしまった場合、今生(こんじょう)の人生は確実に「本当の自分らしいもの」からは遠ざかるということです。


 これをもっと具体的に言いますと、眠り続けた結果をおおまかに2つのパターンに分けてみますと、一つは鬱(脳機能の低下)になり、もう一つは“仮そめの快”を利用した「依存症」となります。


 「依存症」とは薬物といった自分の外部にある物質的なものへの依存だけではく、ゲームやネット、買い物といった「プロセス依存」と呼ばれるものや、子どもや友人への依存、DV、ストーカーといった「関係依存」と呼ばれるものまであるのです。


 このような「困った依存」を招く“仮そめの快”とは、扱いに少々各人の工夫がいるものです。


 “仮そめの快”というものはうまく付き合えば感情や思考の転換などにも利用できる「使えるヤツ」なのですが、これ自体にのみこまれてしまうと困ったこと(依存症)となり、自分の人生を生きていない「眠り」の状態に入り込むので注意して頂きたいということです。


 ですので自分らしく生きていきたいという場合は「今、私が感じている“快”は、本来自分がするべき本当に大切なことによってもたらされた“快”なのかどうか?」と誠実な自己チェックをしていただきたいと思います。


 心から迷いなく、「この“快”は、自分らしい生き方を表現していることから感じる(まこと)の“快”だ」と思うのかどうかといった判断は、他者から見てどうしても判断しかねる部分があり、各人の感性や知性、使命(今回の人生のテーマ)といったものに(ゆだ)ねられるため、基本的には自分で気が付くしかないものなのです。


 わたしは「誰しもはじめから好き好んで(このんで)「眠り」を選択している訳ではない」という立場をとっていますので、皆様全員が来世ではなく今回生きているうちに、各人の幸福である「自分の真の生き方」にたどりつく可能性を信じています。


 ですので皆様には、誠実な自己チェックをして頂き(これも内観・内省とよばれるものの一種です)、その際、
「あ、自分、これ先延ばしにしているのかもしれない」と思ったら、「自分にとって本当に大切なこと」や「やってみたいと思っていること」をちょっとだけやってみる、という行動を何回か試してみて頂きたいと思います。


 その結果「意外とうまくいくな」と思うのか、「いや違うな。これについては行動することが本質ではないな」と思うのか。


 こういったことは結局はご自分にしかわからないことなのです。勿論他者は途中までお手伝いはできるのですけれどもね。


 ちなみに、本当に自分がやりたいことではないことで「やる気のスイッチ」を押し続けても、次第(しだい)に効かなくなったり、あるいは不機嫌になったりする場合があるため、こういった結果から探ることも良いでしょう。


 ちょっとだけ側坐核を刺激するという方法が効くかどうかは、やはり人によるものであり、またその人の、その時々の状態にもよるものです。ですのでご紹介したような可能性を自分で審査する必要があるという訳なのです。


 このように、一人の個人の中でも対象や時期、状態によって異なる結果となるものですので、その都度(つど)自分に聞いて「内省・内観」し、ご自分のことを知っていって頂けたらと思います。そのうちに自分のパターンが見えてきますので、そうすると自分の取り扱い方がわかってきて、その分楽に、スムーズに生きることができるようになります。


 それでは、次回かどうかはわかりませんが、「“仮そめの快”シリーズ」第2弾に続きます。ではまた・・・。