現実的にも、スピリチュアル的にも、どれほど生活態度を自分的に「正しく」していたり、また起きた出来事に「正しく」対処していたりしたつもりでも、予想外のことが起きることもあるでしょう。


 わたし達は一般的に、そういった時に不安になったり、後悔したり、自分や他者を責めたりする傾向にあります。それも仕方のないことです。


 しかしこの世界は他者との共同シミュレーションの場であり、わたし達それぞれの「見えない皆さま」は予想外を歓迎し、楽しんでいる、といった具合でもあることは覚えておいて損はないかと思われます。


 自分にとっていかにネガティブな出来事のように見えても、今の自分にどうしようもないとわかれば、やはり気持ちを暗くせずに、例えば次のような言葉で気分を保つと良いでしょう。以下はわたしがかつて身に付けたアファメーションをもとに、いまのわたしの脳が自動的に(つむ)ぎ出すようになったものの一例です。


「これ、見えない皆さまや宇宙は、どうやって(かな)えるのかな。」
「この事態、どうやって“回収”できるんだろう。楽しみ ♪」


 こういった考え方が身についているわたしですが、現在のように習慣化するまでは、その都度(つど)ショックを受けて落ち込んだりしていました。


 今でもたまに落ち込むこともありますが、回復はかなり早くなりました。それは「一見ネガティブに見えるような出来事の先には、自分がその可能性を打ち消しさえしなければ、必ず事態の前進がある」とわかっているからです。


 できるだけ落ち込まず、気持ちをラクに保つことができると、例えば以下のようなメリットがあるでしょう。


①ストレス反応(よく言われる闘争・逃走反応。fight-or-flight response)を抑えることができ、不安や緊張の蓄積を防ぐことができる。

②前頭前野の機能が保たれ、副交感神経が優位のままで、視野狭窄(しやきょうさく)(おちい)る確率が激減し、問題解決能力が保持される。

③乗り越えた経験を繰り返すことにより自信がつき、感情的な回復力(レジリエンス)が高まり、メンタルが強くなっていく。


 このように知識を持っておくことも助けになることもあるでしょう。


 このようなわたしでも、もちろん、先述のように、今でもたまに落ち込むこともあります。しかし問題はないのです。そんな時はどうしているのかと言うと、たいていの場合、まずは「あ。落ち込んじゃった。」と、落ち込んだ自分を否定、拒絶、無視せず、受け入れます。


 あとのポイントとしては、無理にポジティブになろうとはしません。


 もちろん元気にはなりたいのですが、いきなり元気になろうとはしません。急に元気になろうとすると現状と思考の乖離(かいり)が発生して、うまくいかないことのほうが多いからです。

 
 わたしの場合、まずは落ち込んでいる自分を許し、「落ち込んじゃった。つらいなぁ。元気がない時は、元気が無いなりに過ごそう。」と、あきらめのような気持ちを持ちます。この「戦略的あきらめ」とも呼べる心境が、わたしの場合の「今の自分や現状の引き受け」となり、回復のための「感情の大底(おおぞこ)」となるのです。


 そして、できるだけ自分に優しくします。ゆっくり入浴したり、のろのろと家事をしたり、チンタラと趣味をしたり、緊張感なく動物のかわいい動画を観たり、だらだら・ゴロゴロして読みたかった本を読んだりします。


 それからできるだけ早く寝てしまうことを自分に許します。早ければ19時台には寝ます。ぐるぐる思考は今は無く、速やかに眠れてしまうのですが、昔、異常な反芻(はんすう)思考に苦しみ、眠れなかった時は、眠れなくてもふとんに横になって、動画でお笑いなどを観て、できるだけ思考しないようにしていた時期もありました。


 そういえば、今思い出したのですが、昔は不安があるとそればかりが気になり、不安で不安で、行動できずにいる時期もありました。なので「あまりに怖くて動けない」というかたのお気持ちもわかるつもりです。しかし変わりますよ、ともお伝えしたいです。今は不安やネガティブがまったくなくなったわけではなく、不安やネガティブがあるままでも前に向かって行動できるようになったのです。それは大まかに言うと、先ほどから述べているように、不安やネガティブがあることを自分に許せていることと、理想どおりのキラキラ・ハッピーな自分でなくても人生は好転・前進させることができると知っているからです。


 ね?全然完璧じゃないでしょ?
でも大丈夫なのですよ、これでも。十分に。


 人生はますます前に進み、どんどん自分の「見えない皆さま」と調和がとれたものとなっているのです。


 それに、そもそも「見えない皆さま」にとって、地球人として生きているわたし達がネガティブ側に偏ることがあることはある程度(ていど)()()()み”で、わたし達の人生の青写真は、それに耐えうるようにも設計されている部分があるのです。


 さて話を戻します。わたしも色々な過程を経ましたが、こういったことを繰り返し行うことにより、現在はわたしの思考回路は、土台から自動的に明るく楽しくやりがいのある方向に向いています。ですので有事の際であっても先述のような、


「これ、見えない皆さまや宇宙は、どうやって(かな)えるのかな。」
「この事態、どうやって“回収”できるんだろう。楽しみ ♪」


といったことを勝手に考える脳になってくれました。毎日生きていて、本当にラクになったと思います。
 

 ですから、完璧でなくても、時に落ち込んだり、腹を立てたりしたって、ホントに大丈夫なのです。たとえ気持ちがネガティブに傾いたり、心が大きく揺れたりしても、まずはほんのちょっとでも、無理のない範囲で、例えば自分を休ませることを意識して行っていれば。


 具体的には自分で自分に、
「もうダメだ。終わった。失敗だ。取り返しがつかない。」といったような、元気を失うような言葉を脳内(心の中)でつぶやかないことです。


 そして代わりに、以前お伝えしたような、例えば
 
「起きたことはすべて自分にとって何かのメリットや教えがある。それはなんだ?」と見つけるために思考したり、また「なんか知らんけど、いいことにつながっている!」と保留にしたりします。そしてやるべきことがあれば淡々とこなします。人によっては溌剌(はつらつ)とこなせるかもしれませんね。


 わたしもあまりにつらい場合は、逆に「どんだけいいことが起きるのかなー⁈ヒャッハー!!」等と強く思考したりしてアドレナリンをバンバン出し、あえてイキイキとこなす時もあります。これらは心理的な状態によって使い分けていますが、これは今ではめったに使わなくてもすむ手段です。こういったことは自分の取り扱い方を知ることと、選択の積み重ねの成果であるとも言えるでしょう。


 このようになった今、現実を観察してみると、「夢や願望、困りごとは、荒唐無稽(こうとうむけい)(かな)う時があるものだな」とつくづく不思議に思うことがあります。


 予想だにしないことが起きたり、
また「ええ?!アレとコレがくっついたの?!」と、永久に効力が失われたと思っていた条件同士が(よみがえ)って噛み合ったりもして、願望や解決の実現となって目の前の現実に立ち上がるのです。

 
 この(しゅ)の経験を繰り返すと、現時点での現実を見てネガティブに予測することがバカバカしく思えて来てしまいます。


 また、例えポジティブな予測であったとしても、人間の身である自分などが一所懸命予測したことなどをはるかに超越した事情の噛み合いが起きるため、自分が思考で頑張って創り出した予想が例えポジティブであったとしても、むしろそれが制限、制約にすらなるということが、心から納得いくようになるのです。


 こうしてゆっくりと無理なく、自然に、シンプルに「受け取るだけの導管」とか「サレンダー」状態となっていくのです。


 こういった実体験も大切ですし、面白いことだと思うので、また機会や言い方を改めてシェアしていきたいと思います。


それでは、また・・・。


(当ブログ「古今東西」も別ブログ「重ための話」も不定期更新)