今回の記事の中でお伝えする「MJ」とは、世界三大MJ※のうちのお一人であるみうらじゅん氏です。


 皆さまの中には、「みうらじゅん氏は弥勒菩薩(みろくぼさつ)なのだろうか」という問いを持ったことがあるかたもおられるかもしれませんね。・・・いるかな?
 ともあれ、わたしは個人的には「ある意味YES」と思っています。


 もしもこれを聞いたら、MJは、

「えっ、この俺が弥勒?
この人、どうかしてる。」

と思われるかもしれません(笑)。


 もちろん、みうらじゅん氏のすべてが弥勒菩薩だとか、化身(けしん)だ、(あが)(めたてまつ)ろう、といったことを言っているのではありません。


 「弥勒菩薩のお導きをキャッチしている時がある」とか、
「弥勒菩薩のエネルギーを通す導管として機能している部分がある」、
と言っているのです。


 弥勒菩薩ご自身(じしん)は、自らも悟りを求めていますが、その高い見識などからわたしのような(ぼん)(ぼん)凡夫(ぼんぷ)を導くことは、十分に可能です。


 みうらじゅん氏の、ご自身の人生経験から生じる()いも甘いも()みわけた発言は傾聴(けいちょう)に値するご意見かと思われます。しかも軽妙洒脱(けいみょうしゃだつ)だし。
(←面白いという意味です)


 こう見えて(?)毎日多忙にしているわたしですが、ここで久々に完読しかかっている本をご紹介したいと思います。


『マイ仏教』(新潮新書2011年)


 わたしが読んだMJのご著書は今回『マイ仏教』が初めてで、ほかにはたまに見るテレビで「面白い人」という印象くらいしかなかったのですが、「実はわたしよりもずっと真摯(しんし)に仏教と向き合って来られたかたなのだな。面白いけど。」と思いました。


 わたしよりも皆さまの方がMJのことをご存じかとは思いますが、今回ご紹介させていただきました(^_^)


 中でも142ページの「小乗的(しょうじょうてき)な「自分探し」と大乗的(だいじょうてき)な自分さがし」というあたりはわたしの持論と共通するものがあり「おー、イエース」と感じました。

 

 

 (ただ、ここでわたしの立場からのご説明を一応させて頂きますと、この小乗仏教的段階は大切な段階であり、まずはここを目指して強化する必要のある場合もあります。


 また、みうらさんも少し触れておられますが、小乗仏教的な段階に留まろうとも、大乗仏教的な段階へ進もうとも、それは各人、各スピリットの自由です。


 さらに言いますと、どちらが良いとか悪いと言ったような優劣のような意味合いは本来的にはなく、究極を言うと「自分にとっての正解」しかない、というのがわたしの持論です。)


 もちろん感想は人それぞれですので、お手元にMJのこの本をお持ちのかたも多いかもしれませんが、良ければ今一度ご確認いただき、ご自分のご意見と照らし合わせてみていただけたらと思います。


 今回の記事の最後に余談をお伝えします。


 「MJは弥勒菩薩なのか?」
と書こうとしたら、「見送(みおく)り菩薩」と表示されました。


 わたしの入力ミスではありますが、この世界に偶然はないとしたら、この「見送り菩薩」の意味するところは一体なんでしょう?


 たとえ何か自分が「やらかした」としても、今日もまた納得(なっとく)のいく一日を過ごすことができなかったダメな自分だったとしても、何かのチャンスを見送ってしまって後悔しまくり、自責しまくる自分だったとしても、
「そこがいいんじゃない!」と思い切って言ってみる。


 すると脳がだまされて(これは科学的にも整合性のとれた手法です)、
気持ちがラクになるかもよ?という、MJ的ご真言(しんごん)によって、つらいこともカラッと見送ろう、という意味なのかもしれません。これは脳の仕組みを利用した心理的なアプローチであり、効く場合にはとても有効なのです(^_^)

 ハイ、とってんからりんのしゃん。←民話風(みんわふう)(かた)(おさ)


 それでは、また・・・。


脚注(きゃくちゅう)※「世界三大MJ」とは・・・マイケル・ジャクソン、松本潤、みうらじゅん


 (当ブログも別ブログ「古今東西」も不定期更新)