世界の人々にとって、わたし達の「いらない物」とは、まだまだ使えるとか、まるで新品のように見えるようです。


 「自分にとって不要なものとはさようならしましょう」とお勧めしているわたしですが、物を捨てることへの罪悪感は人並以上にあるつもりですので、今回はこの辺りについてお話したいと思います。


 ユーズド・イン・ジャパンは人気が高いそうなのですが、日本人が手放した物が世界で受け入れられる理由をさっと挙げてみますと、


① 日本人は物を大切に扱う文化が浸透している人が多い
② そもそも日本に流通している物のクオリティーが高い


といった所になるでしょうか。


 これに付随して、
日本は少し前に物質文明の栄華を極めましたが、それは「幸福の十分条件」ではなかったということを知った人から、物と次々にさようならしているというような根底の事情も有しています。


 こういった、様々な事情は海外の人にはお互いにどうしてもわからない部分があることですので、日本人が手放した物を受け取って、「なぜこんなにきれいな物がいらないの?日本という国はよほど恵まれているに違いない!」と思われたとしても不思議ではありません。

 
 物を手放す理由は「飽きてしまった」「デザインが合わなかった」「使い勝手が悪かった」といった理由もありますが、かつてのわたしのように「それを見ているだけでイヤなことやつらいことを思い出し、メンタルが落ちるから」という精神的な理由もあります。


 国内外を問わず、生活に困っている人々にとっては、そのようなことは言っていられないでしょう。

 「精神的な理由⁉ そんなこと(・・・・・)でこんなに使える物を手放すなんて!」と驚かれる人がいたとしても無理はありません。


 これは単なる感想に過ぎませんが、そういったかたがたの一部の人々の気持ちを想像していた時に、「使える物を手放すことができるって、まるで気まぐれな神々のように見えるかもしれない」と思いました。それは自分たちを責めているのでも、持ち上げているのでもありません。古代の神々のふるまいを思い出し、その行動と重なったのです。スピリチュアルでは「わたしたちはひとりひとりが神たる創造主である」と言われていますしね。


 神話において神々は気まぐれで自分勝手で、人間達を苦しめることも少なくありません。
 

 とは言えわたし達は、不用品を寄付することによって海外の人を苦しめているわけではないので全く事情が異なりますが、ただ、日本という国に生まれたということだけでどんなに恵まれているのかは、海外の人のほうが見えることもあるかもしれません。


 「帰国して、街がきれいでほっとする。公衆トイレも清潔だしね」と言った知人がおりましたが、今さらではありますが、当たり前に享受(きょうじゅ)している公共の福祉や、手を抜かない清掃をしてくださっている方々(かたがた)に感謝を申し上げたいと思いました。


 かつてわたしがソー・ヤングだった時から数十年の時を経て、ようやく日本人に自国の誇りを取り戻そうとしている動きが見えるようになり、嬉しく思っています。


 「日本はダメよ」「NOと言えない日本人ww」という国民の自虐傾向に辟易(へきえき)していたからです。
 
 
 自分への正当な誇りがなければ、他者に対して卑屈になったり、あるいは自分のほうが優れていると勘違いして(おご)(たか)ぶるような態度をとってしまいかねません。


 それは個人でも国家でも同じです。国家とは人民ひとりひとりの集合意識だからです。


 自国の利益を認識しつつ、同時に相手にも敬意を払って対等な関係を築くためには、自分ひとりが、自分に対して正当な自己評価を行い、正しい誇りを持つことが必要です。


 ですので宇宙人とのオープン・コンタクトを望んでいる人も、地球人である誇りを持ちましょう。わたし達は決して劣っているのでも、幼稚なのでもありませんからね!


 海外であろうとも、地球外であろうとも、
相手が誰であったとしても、
卑屈になるのでもなく、偉そうに振る舞ってみせるのでもなく、ありのままのリラックスした自分で対等に接し、誇りを持って自分のいる世界を自らリードしていきましょう。


 ではまた・・・。