外部からもたらされた情報にエビデンスがないと不安だ、信用できない、という場合があります。


 これはわたしが実際にそうだったので、よくわかります。


 気持ちが弱っている時や、心、精神自体が弱まっている時期に、エビデンスは本当に頼りになってくれます。


 わたしも精神的に弱っていた時期は、小さい頃からの「目に見えるもので、他者に証明して見せることができるものがすべて」という「教育」も手伝って、自分の心といった「感覚」を疑っていた時期でした。


 この時期は、外部情報に頼らせてもらって、何とか自分を支え、どうにか生きているという時期でした。


 しかし、どんなに信憑性が高いデータであったり、どんなに偉い先生がおっしゃっていたことであっても、「自分には合わない」というものがありました。こういった時は自分を疑いました。何故なら、「科学は間違わないはずだ。数字がそれを示している。世間ではそれで結果を出している人たちが大勢いるではないか」と信じていたからです。これが「科学信仰」です。


 ですが、どうしても、自分が「目に見えるものがすべてだ」と信じている「多くの人々」からズレている、と認めざるを得ない壁に何度もぶち当たるのです。それは認めがたい事実でした。なぜならそれを認めてしまったら、そこからこぼれ落ちたわたしは一体どのように生きていけばいいのでしょう?


 ですが、どこかではわかっていたのです。
「科学やエビデンスが言っていることは、何事であっても例外がある」ということを。


 そして「データを含めた上で、最後には自分の感覚で選択するしかない」ということを、身をもって知っていったのでした。

 
 そのようにして生きてゆき、自分に合ったエビデンスに支えてもらいながら精神的に自立していくと、次第にエビデンスから卒業していきました。


 ここからがわたしの真の個性の時代の始まりとなりました。


 今では自分を「大部分からこぼれ落ちた」などと思っていません。この考え方は自虐でした。

 しかも周囲を見渡してみると、現代は世界中にお仲間がたくさんいるではないですか。


 「自分の受信した感覚が人生の羅針盤」という「霊性信仰」を取り入れて人生を過ごしてみようというみなさまのことです。


 これはわたしの感覚ですと、ゆくゆくは科学信仰の人とイーブンになっていくような気配を感じています。これはあくまでわたしのいる世界での話で、それこそ「わたし調べ」という感覚的なものでありますが・・・(^^)


 しかし、かつてはこの霊性信仰が利用され、わたし達日本人はひどい目にあいました。


 だからこれからは誰か他者ではなく、自分を信じるのです。自分が自分のリーダーになるのです。
 

 「自分が自分のリーダーになる」と言っても、重く受け止めることはありません。
それはとても軽やかな状態です。


 わたしが自分のリーダーになっていった過程のごく一部を簡単にお話しますと(←いつもブログが長くて申し訳ないです(;^_^A)、

まず、「すべてはエネルギーから始まる」ということを完全に理解することでした。

 次に、ここは地球という物質世界であり、独自のルールがあるため、それは無視せず、むしろ積極的に自分に活用する、といった具合です。



 ですので、科学と霊性、両方が大事だと思っています。両者の間を、自分の感覚で行ったり来たりして、人生を楽しむといいのではないでしょうか。



 時に科学的に証明されたものや、他者の意見や経験を参考にさせて頂きながら、自分の心、つまりハイアーセルフや魂とつながっているところに聞いてみて、そして選択して生きていってみてはいかがでしょうか。楽しいですよ。

 両者の「いい所()り」をしていきましょう!(^_^)


 ではまた・・・。