人が何か行動している時、反対したり、批判したり、
また悪気があっても無くても、こちらの気分を害するような人々が現れたりします。こういった人々を「アンチ」と呼ぶことがあります。
中には自他への愛の立場から異論を唱えたり、教えてくれたりしているような人もいます。そういった場合は傾聴に値するありがたいご意見です。例えば企業のカスタマーサービス係の人びとは、これらを見分けるプロを目指しておられるとも言えるでしょう。
しかし、愛の立場からの発言ではない場合もあります。
これが今回の題の「う〇ち」に当たります。
ある時ゑRくんと、人の表現や活動について話し合っていたのですが、彼が
「何かしようとすると、絶対にアンチっていう連中が現れるからさあ」と言った時に、
昔、アンチの人々の非常識な攻撃コメントにとても腹が立ったというかたが「クソな連中」と言っておられたことを思い出し、
「アンチって、う〇ちなんだ・・・!」と思ったのです。
もちろん先述のように、う〇ちなどではなく、本当にありがたい意見であることもあるので、単に言われたこちらが耳が痛いというだけで「う〇ちだ!」と決めつける訳にはいきません。
この見極めには各人の知性、つまり「魂の自分への誠実さ」が問われるでしょう。
さて「自分の活動にう〇ちが出て来た」という場合、
「アンチはう〇ち」とすかさず思えたなら、心に深いダメージを受けてしまうことはとりあえず避けることができるのではないでしょうか。
表現だったり、何か行動をした際には、この世界においては、そういった「アンチ・う〇ち」な人々が現れるものなのです。
アンチとは、他人のう〇ちです。
あまり長く見つめ続けたり、中身はなんだ、どんな気持ちで・・・と精査しようとしたりせず、すみやかに水に流してスッキリし、忘れてしまいましょう。
そして、同じようなイヤな目に遭いながらも、それでも活動は続けているよという人々や、愛ある支援者の皆さんと共に、ポジティブな地球に行くのです。
一方、「自分はう〇ちサイドだな」という皆さま。
これは是非ともそのような自分から抜け出して頂きたいと真剣に思っています。
う〇ちになったということは、その人自身に問題があるというよりも、受けた「教育」が課題の多いものであったためだとわたしは考えています。
そのために「真の成功体験」がないのです。
それともう一つ、「この野郎、調子に乗りやがって!」とムカついた他者に対して(それは本当は何か自分がガマンしていたり、うらやましい部分があったりするのかもしれないのですが)、
否定的な言動をとる人々(これを今回アンチ=う〇ちと言っています)、
こういった皆さまに対して事実を申しますと、
アンチ・う〇ちエネルギーを受けた人で、色々な経験を経てタフになっていった人は、
アンチ・う〇ちエネルギーを、肥しにします。
つまり足を引っ張られた人は、自分の世界を作り上げる力に転換できるので、ますます強大になるのです。(これが『マイ・ワールド』の拡大・拡張です。)
すると当然、ネガティブな言動を取っているアンチ・う〇ち側は、ますます面白くなく、自己肯定感が低くなります。
そして次なるターゲットを見つけて攻撃するのです。
これは立派な「依存症」なのです。
もしも
「訳わかんねーこと言ってんじゃねーよ。それに今さら自己肯定感なんかこれ以上低くなんかならねーんだよ」と思って開き直ったりしたとしても、潜在意識には自己評価の低いことや面白くない人生といったことからくるダメージが積み重なっていくのです。どんどん自分で自分を傷つけているということをおわかり頂けるでしょうか?
潜在意識の傷つきとは、気が付きにくいものです。これ以上自分を傷つけることは「やーめた!」とバカらしく思っていただけたらと思います。他者攻撃とは自己攻撃なのです。そして、気に入らない他者を攻撃して馬鹿にしようとしたりしても、見ている人はきっちり見ていますし、誰よりも自分自身が見ています。アンチというネガティブな表現は、自分の価値が高まることにも、「自分はこんなヤツよりも偉いんだ、凄いんだ、賢いんだ」という証明にも、ならないのです。
中にはこのことを「自分でもどこかわかっていた」という人もおられるのではないでしょうか。だとしたら、そのつらい生き方から抜け出すのです。そして『マイ・ワールド』に参りましょう。
上記は「他者を攻撃することは自分を攻撃することである」ということを意識の側面から解説したもののうちの一つです。
わたしの活動は、そういった皆さまを含めた悩める全人類を対象に、幸福に向けたベクトルの提示をさせていただいているものです。
今後も色々と引き続き発信させていただく所存です。
今日も明日も、皆さまが元気でありますように!
ではまた・・・。