これはわたしのビフォーアフターの一部なのですが、かつてはスパイシーな発案や言動を自分らしさだと思っていました。


 そしてそういった自分の言動を批判されたり、受け入れてもらえなかったりした時、
「自分らしさを否定された」と傷ついていました。


 しかし当時から、うっすらと「現在のこの自分の発想は、本来の自分とは異なっているのではないか」と疑問に思っていました。


 果たして当時の予測どおりで、虐待被害の精神的後遺症により気持ちが荒れており、言動が本当のわたしらしいものではありませんでした。


 もちろん同一人物ですので個性や特徴は残っていますから、(はた)からはわからないことも多々あるでしょうけれども、自分でははっきりと「心の土台の落ち着き」がわかるのです。


 今後もますます本来の自分らしくなっていき、その土台からの人生創造がなされていくことでしょう。


 このような具合ですので、他者のことも、「この人は自分らしくいきていないな」といったことや、「この人は使命や才能からズレて生きているな」といったことがわかるようになりました。


 と言っても簡単に言ってしまうと、「苦しんでいる時のその人は本来の状態を発揮していない」ということなのです。


 そして精神的に安定し、自分らしい喜びを実感しながら毎日を過ごし、一定期間が過ぎるようになると、題のように自然と平和な発想しかしたくなくなりました。


 これは無個性になったとか、つまらない人間になったということではありません。


 当然、自己表現とは自由なもので、多様な価値観のもとに色々な発想や言動があっていいのです。

 
 ただ、その中に自他破壊的な要素が含まれなくなるということなのです。


 そして、そのような本来の自分らしさからの表現を、他者に受け入れられなかったとしても、「仕方ないか」という感じで、傷つくというよりも「コントロール不能なことを操作しようとしない」という、あきらめ、手放しのような感覚でいるようになりました。


 本日はわたしのビフォーアフターの一部をお伝えしてみました。

 
  ではまた・・・。