◆「言葉」が効く人、効かない人

 昔、まだまだ人生が苦しかった頃、
小林正観さんの本で、
「医師に疾病(しっぺい)の末期を宣告された人が完治し、正観さんにお礼を言いに行った」というエピソードを読み、わたしは「言葉の持つ力、ことに‘’ありがとう‘’の威力の凄さに賭けよう」と思いました。「自分にはこれしか、もうできない。これならできる。」という状態で、もう他に策はないようにすら感じていました。わたしは正観さんが研究したという手段を一心不乱に行い続けました。


 あとになって、こういった手法に対して「あんなものは効かない」と批判している人々がいることを知り、驚きました。
 なぜならわたしには抜群に効いたからです。

 他にも幾多の手を打ちましたが、正観さんの手法は、わたしが人生を逆転させるために用いて著効を示した方法のうちの一つなのです。

 話をよく聞いてみると、そのかたには効かなかったということであり、「信じてやってみたのに、自分には効果がなかった。裏切られた。あんなのは嘘だ」と傷つき、怒っておられるように感じました。


 わたしには著効を示したのにどうしてだろう、とわたしは知りたくなりました。以下は現在のところの結論です。


◆自己決定の意思が新たな神経回路をつくる

 新しい考え方や感情を持つには、先にそれらのエネルギーが通るための神経回路がなければなりません。もともと意見や感情があるという人の場合も、言葉による認識を行うことで他者との意思の疎通がなされるようになります。ここが、例えばアンガーマネジメント等の治療において「感情に名前をつけましょう」と言われる理由です。例え何らかの思考や感情のエネルギーが頭を渦巻いていたとしても、それを他者に伝えるための神経回路が整備されていないと、受け取り手の解釈に頼らなければならず、本人はうまく表現できていない状態のままなのです。

 逆の例として、ゴリラに手話を教えた時、手話を覚えることに同意してくれたゴリラさんが、思っていること、感じたことをわたし達に伝えることができたという美しい実話が挙げられます。「手話を覚える」という、人間という異種族とのコミュニケート手段を覚えることにより、このゴリラさんは新しく人間流の神経回路をつくり、整備し、その回路を通して自分を表現することに成功した、ということになります。


◆ 自分で納得して、自分で決める

 さらには手話を覚えてくれることに同意してくれたゴリラさんとは反対の例として、
「動物に育てられたのちに人間に保護されたが、意思の疎通がまったくできないまま、しばらくして亡くなってしまった」という人々の場合を挙げますと、それは人間の身であったとしても、人間と共に暮らすことへの「同意」を彼らから得ることができなかったからだと言えるでしょう。例えこちらとしては善意でしかなかった行為も、彼らにとっては拉致・誘拐なのです。同意を得ることがとんでもなく難しいことであることは想像に難くないでしょう。ですので人間らしい流儀を学ぶという人としての神経回路を発達させることがないまま、多大なストレスといったものが原因で亡くなってしまったと考えられるのです。彼らから信頼を得ることができたなら、共に生きることができたかもしれませんが、信頼とはこちらが強制できるものではありません。自ら「ん?」と気が付いてもらうしかない神聖な領域にあるものなのです。

 亡くならずに生き残って下さった方も居られますが、そういった方々の全員が、人間社会に戻ったのちに「幸福」だったのかどうかは疑問が残ります。いくら人間としての流儀を身に着けたからといって、やはりそもそもが自分で納得して「人間社会に戻ろう」と決めたからではないからです。こういったことからも、「自分で納得して、自分で決める」ということが、生き物にとっていかに重要な点であるかということがおわかり頂けることと思います。ですから皆さんにも、幸福な人生にしたいのであれば、そのようにして頂きたいのです。


◆ 信じる「純度」

  何故わたしに「ありがとう」「ついてる」「愛されている」といったような、「ポジティブな言葉」を先に唱えることが人生逆転に効いたのかというと、動物に育てられたのちに人間に保護された人々と異なり、「そうなりたい。そのように思える自分で在りたい」と自分で先に決めたからです。当時のわたしはこれらの感情をまったく感じていませんでした。何も有難いことなどなく、恨みと嘆き、そして悲しみばかりでした。「ついてる」などと心から思えたことがひとつもないのに、どうして「自分は愛されている」などと思えるでしょうか。

 ここで、もしもわたしが「こんなことが本当に効くの?」だといった疑いや、「やらされている」といった受動意識、あるいは「もういやだ」とか「怖い」といったネガティブな感情を感じていた場合、それらを思考したり、感じたりするための(・・・)神経回路が増強されるのです。わたし達の脳とは、いま(・・)考えていること、感じている神経が興奮し、活性しているに過ぎないからです。

 これらはもちろん、「効かなかった」という人々を否定や非難をしているのではありません。わたしにも「試してみたがダメだった」ということが累々(るいるい)とあるのです。そういった経験からも、精神治療とは、「自分が純度高く信じることのできる方法を見つけることができるかどうか」といってもいいようなものだと言えるのです。


◆ 『仮初めの快』では良くならない

 ただし注意事項として、「信じることができる」「自分に合っている」と思った対象や治療法が、わたしが色々な所で述べているような『仮初(かりそ)めの快』であってはならないとお伝えしたく思います。

 ここで述べる『仮初めの快』とは、他者に耳障(みみざわ)りのいいことを言ってもらう、といったことを含めた「依存を生むものに頼ること」です。こういったものでは、一時(いっとき)例え「自分の思いをわかってもらえた!」と嬉しく思ったとしても、「代償」が求められることが多いのです。わたし達日本人は、歴史からこの例をすでに知っているはずです。

 

 また「代償」とは、お金、時間を失うことだけではありません。未来に起きる事実と反する「期待」も『仮初めの快』であり、精神的な代償を伴います。それは「怒り」を招き、この怒りは否定、批判、批難という攻撃を生み出します。これを行っている人々は自分が「正当な主張をしている」と思いこんでいます。また様々な理由から「自分のやり方、自分自身こそが正しい」と主張する目的で、他者や他の人のやり方を否定している場合もあります。しかし一連のこの動きは反射反応であり、修養することが可能なものなのです。


 『仮初めの快』で一時的に寛解を得ることもあるかもしれませんが、しかし、わたしはまったくお勧めいたしません。「多額のお金や、何十年もの時間をとられた」という、本当に「だまされた」と裁判にて訴えを起こさなければならないような大きな事態になることは、できるだけ避けて頂きたいからです。徹底して自分の人生に向き合い、抜本的に人生を土台から再構築した身としては、「現代は色々な人が色々な方法を教えてくれているありがたい時代であるのだから、そのような中で自分で自分に合うものを選び、自分で実行し、自分で結果を引き受けることが最善です」とお伝えしたいと思います。

 何故ならこういった「自己決定の意思を持つこと」が、わたし達のような成人した人々がつらい人生を逆転させる原初の一点だからです。この原初の一点をどのようにして取り戻すかはまたさらに掘り下げることができるのですが、そこまで説明しなくても大丈夫な人は実は大勢おられますのでここでは簡単に述べるにとどめますが(多くの人は自分で「自分には力がない」と思い込んでいるためにわからなくなっているだけなのです)、

 「自分の性格や、うまくいった経験やうまくいかなかった経験、知識といった自分の事情や歴史から、自分の感覚で決める」ということです。このように言われてみると、結局は「自分のことは自分で決めるしかないのだな」とおわかり頂けるかと思います。

 多くの人は「それをやってみて、効かなかったらどうしよう」「決め方がわからない。自分の選択は本当に正しいのだろうか」という不安や、「効かなかったらどうしてくれるんだ」という怒りが、もうすでにある、先にあるのです。またはかつてのわたしのように「こんな人の言うことを聞くのはイヤだ」という拒否や批判の気持ちがある場合もあるでしょう。

 ということは、そういった不安、怒り、疑い、拒否、批判ということを行っていたり、実感していたりしている脳の領域が活性化しているということです。するとその神経回路が強化されることになり、不安、怒り、疑い、拒否、批判を受け取り、感じるセンサーがますます発達していくことになるのです。そうすると、強いエネルギーが発生され、それを「自分や他者への否定や批判、あるいは回収」という形で放出せずにはいられなくなるでしょう。そういった行いは、自分の人生の幸福な発展とはベクトルが逆の行為なのです。

 その状態で何か新しい方法を取り入れようとしても、効果を実感する確率は低いでしょう。将来的に「あっ、あれはこのことだったのか!」と役立ってくれることもあるかもしれませんので、まったくの無駄でしかない経験だとは断言できないまでも、やはりスムーズに自分の人生が楽になった、良くなったと実感したいですよね?そうであれば、やはりまずは「自分で決める。自分で決めた」と思える所まで落とし込むことです。言い方を変えると、「自分が自分に治癒や人生好転の許可を出すことができる対象や方法」を自分で探すということであり、納得することです。するとうまくいかなかったという時でも他者を責めたり恨んだりするエネルギーは発生しにくくなります。「あの時、自分で納得いって決めたことだから」と思えるからです。「自分には合わなかった。仕方がない。できるだけ速やかに次に行くしかない」という健康的な思考法にも納得がいくようになるのです。


◆自己決定が幸福につながる

 最初は練習期間が必要かもしれませんが、それは受動意識や被害者意識からの脱却ともなり、幾階層にもわたって自分の自己決定能力を「元に」戻してくれるのです。自分らしく幸福な人生を送りたいのであれば、‘’本来の自分‘’にかえってくことが先決であり、そのためには自分で自分のことを知るしかないのです。自分のことを知らずして人生は好転のしようがないからです。

 ‘’本来の自分らしい生き方‘’にかえっていく時、そのプロセスは「人生がラクになってきたなあ」と実感し、そして本来の自分らしい生き方にかえってからのプロセスは、「人生が本当の意味で面白くなってきた」と感じられることでしょう。


◆ 二つの「必要なもの」

 この世界は全てが電気的エネルギーから成り立っています。まず先にエネルギーがあり、そして次に物質が生まれたということは、当ブログを読んでくださっている皆様は、すでにご存じかもしれません。物理次元を生きるわたし達にとって、「エネルギー」と、それを受信するための言葉、知識、経験といった「神経回路」、両方が必要です。この二つは、人間にとって人生創造、または人生破壊のための両輪を成しているのです。

 今回は「言葉が効く人、効かない人」という題で、「神経回路」という切り口からお話してみました。ではまた・・・。