以前、こういった記事を読んだことがありました。
20代後半という青年のコラムでした。

「・・・自分は、ずっと、こういった時に、「ありがとう」と言えばいいということを、知らずにいました。この年になって初めて、何かしてもらった時や、うれしい時は、相手の人に「ありがとう」と言えばいいんだということを知りました。

 自分は親に何も言われずに育ちました。とても自由に育てられました。それは良かったと思っています。でも、「こういう時は”ありがとう”って言うんだよ」と、教えてくれたらよかったのに、と思います。何故なら、いつも変な空気になって、どうしたらいいのかずっとわからずにいたからです。」

 これを読んで、ひょっとしたら読者の皆様の中には、え、そんなこと知らずにいたの? と驚かれる方もいらっしゃるかもしれません。

 しかし、勿論良かれと思った上での方針であって、悪気はないのでしょうけれども、親御さんの教育のしかたや内容と、お子さん側の「純粋さ」といった事情がかみ合った時に、

まるで波と波がぶつかって大きくなったソリトン波のように、こういった極端とも思えるようなことが起こるのです。

 こういった方は、特殊なテーマを持っていらっしゃいます。それ故、人と違った苦しみを感じることとなるでしょう。そのような特殊な苦しみは形を違えど世の中に様々あるのです。

 私のブログを読んで下さっている皆様も、恐らく、それぞれに何かがあって、読んで下さっているのだと思います。わたしは、皆様お一人お一人が持っておられる人生のテーマに、心から敬意を表します。

 そして、苦しみを負った人生も、「そこから、自分らしい在り方を知ってゆく過程」と考えて頂き、ご自分に力を取り戻して頂きたいと思います。では・・・。