最終日9日の記録です。(やっと)

 

その日はリハーサル見学のため午前中に仙台駅に行かなければなりませんでした。

 

 

 

今回やっっと見れた。

 

 

 

 

ほんとだったら「ただいま」と言いたいところだけど、もう今日帰らなくては行けないので、またね、と心の中で呟きました。

 

 

そして念願の仙台での朝食。

 

 

実はそれも初めて。

今までも仙台で朝食を食べたかったのですが中々機会がなかったのです。

 

色々調べて、利便の良い仙台駅のコンコースにある「ダテカフェ」さんへ行くことにしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

はらこ飯茶漬け美味しかった。

 

 

 

 

シャトルバスに乗り利府に向かいました。

 

 

 

 

 

 

初日は天気が悪くて、中日はギリギリに入ったので写真が撮れなくて、やっと綺麗な青空の写真が撮れました。

 

 

 

始めてノッテのリハーサルを見ることができてワクワクしていました。

というか、羽生くんの練習着姿、いわゆる黒い子、を実際に見るのも始めてで、とても楽しみでした。

 

 

リハーサル会場に入るともう既にスケーターの方達が練習していました。

 

 

その時には会場の中やスケーターの写真を撮ってはいけないと言われて、皆さんじっと静かに練習を見守ります。

 

 

始めてリハーサルを見て、公演とはまた違う緊張感があることに気がつきました。

 

ボレロの群舞の、無良さん、刑事くん、知子ちゃんが一生懸命練習しているのを見て、最終日までしっかり演技しようという思いが伝わって感動しました。

 

 

最後羽生くんが、サルコー?の練習に何度も挑んでいるのが印象的でした。

 

練習ではあまり成功していなかったのですが、本番をビシッと決めたのは流石でした。

 

「黒い子」なんて軽い言葉で表現するのも何だか申し訳ないくらい、とても一生懸命練習しているのが判りました。

 

リハーサルも見られてとても良かった、と思いました。

 

 

 

リハーサルが終わり一旦外に出て、ツイッターで知り合ったゆづ友さんたちと挨拶をして、買えなかったニット帽を買って、牛タンのフランクフルトも食べました。

やはり天気が良いと外も賑わって、フェスのような雰囲気が楽しかった。

これが最終日ということがちょっと寂しかったです。

 

 

そして、

 

 

やっと見られたフラワースタンド。

 

 

初日は周りが人が一杯で近づけず、前の日は暗くなっていたので場所が判らず、やっと最終日に見ることができました。

 

 

 

 

慈眼寺の塩沼亮潤さんと

 

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米津玄師さんからのどちらも青を基本とした素敵なフラースタンドでした。

 

 

 

 

青空に映えてとても綺麗でした。

 

 

 

 

そしていよいよ最終日の公演に入場しました。

 

 

 

ところで、3日目にして始めて「ボレロ」の最後のシーンでで萬斎さんと羽生くんが中央の舞台を背に相対した姿勢で跳んだことに気がついて驚きました。

 

 

 

前日までは、舞台から少しだけショート寄りの席だったので、この日は始めてスクリーン寄りの席だったので気がついたのですが、全く同じタイミングで萬斎さんが正座の格好をして飛び降りていることに気がついたのです。

 

 

そしてそのままの姿勢で、下に出てきたマットの上に着地したのを見て、ものすごく驚きました。

 

 

 

 

(この写真は、後に小海途さんがNHKの講座でも上げてましたね)」

 

 

 

羽生くんと萬斎さんが背中を向けて全く同じ姿勢で正座で着地しているのを見て衝撃を覚えました。

後で詳しい人に教えてもらいました。

 

 

 

 

 

 

三日目にしてやっと気付いたのですが、それに気付いた時の驚きは一層ボレロに感動するものとなりました。

 

 

 

さして順々に演技が進んでいき、最後の「春よ、こい」の羽生くんの姿を見た時には涙が出てきました。

 

 

 

去年は「ダニーボーイ」だったので春ちゃんの演技は見られませんでした。

 

もちろんダニーボーイも素晴らしくて感動したのですが、少し寂しい気持ちもありました。

 

なので今年のノッテステラータで見られた時には嬉しかったのですが、最終日に何故か泣けてしまいました。

 

 

これまでの羽生くんの思い、今日見たリハーサルの真剣な練習、そしてこれで今年のノッテも終わってしまう、という寂しさと色々な感情が湧いて涙が出てきたのです。

 

 

 

今年のノッテステラータは3日通して見られたお陰で、3日間それぞれ違う演技に泣けました。

初日は「SEIMEI」、2日目は「ノッテステラータ」、3日目は「春よ、こい」。

 

 

その日の自分の感情や、状況で感動するポイントが違ったのだと思いますが、いずれにしても素晴らしいショーで、羽生くんだけでなく萬斎さんや他のスケーターの演技にも感動して、萬斎さんや羽生くんの言葉にも感激して、泣けて、いつまでも終わらないで欲しい、と思いました。

 

 

 

そして感動に包まれながらノッテ名物のシャトルバスに乗り仙台へ戻り、

 

 

 

(宮城県中の観光バス100台近くが揃う何度見ても圧巻の景色です)

 

 

 

 

相変わらず帰りの新幹線もバタバタして乗り、行きには時間がなくて覗けなかった東京駅の広告パネルを見て、

 

 

 

 

今年のノッテステラータの旅は終わりました。

 

 

3日通して行けたお陰で色々なところに行けて、色々な思いを感じて、とても有意義な旅になりました。

本当に3日間行けて良かった。

 

 

まだまだ仙台で見たいところ行きたい所が沢山あります。

 

ただ、今年はラッキーなことにチケットが全日当選したのですが、これからもそれがあるかというのは判らないし、また家族や経済事情がどうなるか判らないので来年以降どうなるか判りません。

 

 

 

今年あんなに素晴らしい体験ができたこと、あんなに素晴らしいショーを見ることができたことにただただ感謝したいです。

 

終わり

 

 

3月8日の記録です。

 

東日本震災の事を書いています。

辛い方は飛ばしてください

 
 

 

 

 

タクシーを降りて、校舎の真正面まで進みました。

 

 

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津波が校舎2階まで到達したことを示す看板。

 

 

 

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こんなに高い所まで水が来たのか。

目の当たりにするとその高さに言葉を失いました。

 

 

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荒浜小学校の説明看板。

 

私が映像で見た写真がありました。

荒浜小学校は海岸線から700メートル離れているそうです。

91人の児童が通っていたそう。

 

 

保健室の窓。

 

 

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保健室の横の、校舎の入り口に進む前に津波で流された二宮金次郎の銅像がありました。

 

 

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良く見つかったと思いましたが、わずか100メートル先にあったのですね。

台座ごと流されたことを読んで凄い津波の力を感じました。

 

 

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 校舎の反対側にある給食室の窓。

 

 

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校舎の入り口から2階の窓を見上げる。

 

 

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入ると中にも津波到達点がありました。

 

 

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水の跡がはっきりと判ります。

 

 

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廊下のこんなところまで津波がきたのか。

と思い、胸が痛くなりました。

 

 

 

 

階段を上り4階で色々な資料や映像などを見学して進みます。

 

 

進んで行くごとに段々と写真を撮ることも思い付かず、というか憚れるような気がして、ただただその圧倒的な資料達を見て進みました。

 

 

展示されている教室を一つずつ進んでいくに連れ、どんどん気持ちが塞がれる様な思いがしました。

 

 

震災前の街の写真やイラストで描かれたパノラマなどを見て、確かにここには人々の暮らしがあったのだということが判りました。

いや、思い知らされた、と言った方が良いのか。

荒浜小学校の卒業生達の語るビデオを観て、生の経験者の声を聞いて、何も言葉にできない自分がいました。

 

地震はとても怖かっただろう。

津波もとても恐ろしかっただろう。

 

 

屋上からの救助も大変だっただろう。

 

 

そして屋上に上がり、ぐるっと周囲を見回して、とても広さを感じました。

今は何も面影がありません。

 

周りに何も無い景色。

 

 

津波にあったということを知らなければ、田舎の長閑な良い景観としか思えませんでした。

 

すぐ目の前に海が見えて、遠くに高速道路と蔵王の山並みの見える、良い場所だなと。

子どもたちの遊ぶ声も聞こえます。

平和な景色。

 

 

14年前、震災さえなければこの平和がずっと続いていたのだろうな。

 

もう何とも言えない感情が胸いっぱいに広がりました。

 

単に悲しいとか、辛いとか、そんな言葉では言い表せない感情。

 

 心が重くなる。

 

そしてさっきの運転手さん達のように、この地に生まれ育って残された方達は何を思って震災の後を過ごしてきたのだろうか。

 

 

そう思うととても切ない。

 

運転手さんの話だと、全国の色々な学校から見学に来るのだということです。

 

結構な事だと思いました、全国中の先生たちに見てもらって子ども達に伝えて欲しいと思いました。

 

 

 

現実に見ないと判らない、見えない、覚えない感情があると思うのです。

そう思って、決心して来ました。

来て良かった。

 

とても辛くて、重い感情を覚えましたが、ほんの少し、本当にほんの少しでも被災地の方たちの気持ちが理解できたかも知れない。

 

 

そして羽生くんの思いも。

 

 

荒浜小学校の震災の記録のリンクです。

 

 

 

 

 

 

 

 

ありがとう荒浜小学校。

 

 

 

そして仙台に戻り、昨日宿泊したホテルに預けていた荷物を受け取り、急いでその日泊まるホテルにチェックインしてギリギリ東口からシャトルバスに乗りました。

多分、最終の18時30分初のバスでした。

間に合って良かった、という気持ちで安堵しました。

 

 

 

バタバタと到着した2日目の公演。

 

 

 

 

その日は、冒頭の「ノッテステラータ」の演技が始まるとなぜか涙が出ました。

 

 

 

その日荒浜小学校の震災の記録を見て、荒浜の景色を見て、被災地の方達の思いを感じて、これまでの羽生くんの震災に臨む羽生くんの姿を見てきて、今目の前でノッテステラータを舞っている羽生くんの姿を見て、胸を打たれて涙が出て来たのです。

 

 

本当に大変だったね、羽生くん。

 

羽生くんはこの14年間、どんな思いで生きて来たのか、今日1日で少しでも理解できたのか。

それだったらいいのだけど。

 

 

そんな悲しみを払うような、崇高なノッテステラータの演技でした。

 

 

 

公演が終わり、仙台駅に戻ると懐かしい写真が目に入りました。

 

 

 

 

まだいてくれた。

 

 

 

 

相変わらず若くて可愛い羽生くんの写真を見て安心しました。

 

 

 

その日、ホテルに戻ってどこか夕飯を食べよう、と思っても、もうすでに11時過ぎていたので、お店がどこも空いてなくて、居酒屋なら空いているだろうと思い探したら案の定近くに見つけられました。

 

 

そこで地酒を頼んだら、偶然にも「はるこい」というお酒が!

 

 

 

ちょっと見づらいけど、「はるこい」と書かれてます。

ドブロクのようなお酒で美味しかった。

 

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元々は、「あたごのまつ」という日本酒の仲間のようです、こちらも美味しかったです。

 

 

 

 

 

たまたま空いてたので入ったお店でしたが、地魚や他の創作料理もセンス良くてどれも美味しかった。

 


 

煮凝り。

 

 

 

鶏肉の炙り。

 

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お店の名前をメモしてなかったので忘れてしまったのですが、今度見つけられたらまた行ってみたいな。

 

 

 

荒浜小学校から戻る頃はとても気が重かったのですが、公演を観た後はとても清々しい気持ちで幸せな思いに満ちていました。

 

 

やはり羽生くんの演技で昇華されて、そして萬斎さんとのボレロで払われたのかも知れません。

まだ明日一日公演がある、楽しもうと思いました。

その日も幸せな気持ちで眠りにつきました。

 

 

 

続く

 

 

 

今回、始めて3日間行けることになり、すぐに計画したのはいつか訪れたいと思っていた震災遺構の場所に行くことでした。

 

 

 

14年前のあの日、激しい地震とその後の津波の映像を見た時の衝撃。

 

 

尋常でない水の流れ。

 

町を飲み込んでいく津波。

 

津波に飲まれていく町。

 

押し潰されるたくさんの車。

 

ただただショックでした。

 

 

こんなに簡単に町が壊れていくなんて。

 

 

その中で、建物の屋上で救助を待っている人たちを映している映像を見ました。

避難した人たちをヘリコプターで一人ずつ釣り上げて救助している。

 

とても印象に残る映像でしばらく忘れらませんでした。

 

確か病院ともう一つあったはずだ、と朧げに記憶に残っていました。

 

 

時が経つにつれ忘れていたのですが、羽生くんのファンになって東日本大震災のことに関心を持ち改めて思い出しました。

 

そして調べたり他の方のSNSなどで荒浜小学校というところらしい、と判りました。

 

 

 

これまで仙台には何度か訪れてますが、羽生くんのアイスショー以外では秋保神社や瑞鳳殿など仙台市内の有名な観光名所や、羽生くん所縁の場所を巡っていました。

仙台市の山側、というのか。

 

ですが、頭の片隅では、東側の海の方のこともずっと気になっていました。

 

 

津波があった場所。

一度行ってこの目で今の現状を見てみたい。

けれど行くことも正直怖かった。

 

 

 

2011年3月11日。

 

あの地震の日、たまたまバイトが休みで家にいました。

 

 

経験した事のない大きな地震で、本当に怖くて、腰が立たないというか足が動かないというか。

元々地震の少ない地域出身で地震が大嫌いでした。

本当に動くのが怖くて、子供を学校に引き取りに行かなくてはいけないのに足がすくんでしまっていけませんでした。

 

子供は他の迎えのない子供達と集団下校して自分で帰って来ました。

 

 

 

情けなかった。

 

子供を守らなければならないのに、いざとなったら怖くて動けなかった自分がとても情けなかった。

 

 

その時の後ろめたさがずっと頭の片隅にありました。

 

 

その後羽生くんのファンになり、間接的に僅かながらでも震災の復興のための寄付をしてその後ろめたさを減らそうとしているのは自己満足だと判っています。

 

 

 

そんな小心者の自分ですが、震災の跡地を見て見たかった。

 

 

テレビの映像や写真では判らない、実際見なければ理解できないもの、距離感などがあるはずだと思いました。

 

 

荒浜小学校跡地は、地図や路線図を調べると仙台からそんなに遠くはない様子。

震災遺構の見学や観光をして4時ごろまでに仙台駅に戻り2泊目のホテルにチェックインして5時ごろまでにシャトルバスに乗れば開演に間に合う。

よし、行こう、と決めました。

 

 

 

8日朝、前日宿泊したホテルに荷物を預け、仙台駅から地下鉄で荒浜駅に向かいました。

 

 

まず荒浜駅構内にあるせんだいメモリアル交流館へ立ち寄ります。

 

 

 

(こちらでもお仲間さんの姿がありました。)

 

 

災害に遭い、まだ帰ってこない方の一人一人のお雛様の人形を作って飾ってました。

 

 

沢山の数のお雛様。

こんなに沢山の方が戻ってないのか。

 

 

まだまだ震災は終わっていないのだということを目の当たりにして胸が痛みます。

 

 

 

2階の震災と復興の記憶の写真やイラストなども見学して、仙台の沿岸の様子が少しずつ判ってきました。

やはり辛いですね。

 

 

そのまま荒浜小学校に行く事も考えましたが、実は以前より行きたいと思っていた場所がありました。

 

 

アクアイグニスという施設です。

 

 

こちらも仙台日和の「震災を知る旅」に紹介されている施設です。

 

 

 

 

そこでお昼にすることにしました。

 

荒浜駅から出ているシャトルバスに乗ります

 

段々と海に近くなるにつれ、広い場所が増えてきました。

 

 

 

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周りに何もない広い敷地の中にポツン、と立つ建物。

元々は田園地帯だったようです。

 

「居久根」(住居を守る垣根)と呼ばれる垣根があったようですが、跡形もありませんでした。

 

 

その周りの空き地も全て津波で流されたのだろうな、と思うとどうしても寂しい思いが湧いてきました。

 

 

広い敷地に、温泉とマルシェやパン屋さん、イタリアンのお店などいくつかの飲食店が入っています。

 

 

 

広い駐車場もあり、土曜日だった事もあり家族づれで賑わっていました。

近所の方の憩いの場になっているようです。

 

 

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お目当てのお店は、恵比寿にある有名な笠原将弘さんの日本料理屋さん「賛否両論」の姉妹店の「笠庵」さん。

 

 

 

 

家に近いのに予約が取れないお店で有名なのでまだ一度も行ったことがないのですが、こちらに笠原さんのお店があると知ってずっと行きたいと思っていたのです。
 
 
 
先に温泉に浸かり、ランチをいただきました。
 

 

 

 

 

流石に美味しい。

 

価格も本店に比べてとてもリーズナブルで沢山のお客さんで賑わってました。

 

 

 

一度荒浜駅に戻って荒浜小学校へ行くよりもタクシーの方が直線距離が近いようなので、タクシーを呼んで荒浜小学校へと向かいました。
 
 
アクアイグニスから見た山々。
 

 

 

 

晴れて空気が澄んでいたのでとても綺麗でした。

 

そういえば、仙台で山を見るのは始めてでした。

 

(後でタクシーの運転手さんに蔵王だと教えてもらいました)

 

なぜかとても感動しました。

 

 

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昔鹿がいたのでしょうか。
 
仙台の海の写真なども展示されていました。
 
 
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タクシーに乗り、震災後にできたかさ上げ道路を通り荒浜小学校に向かいました。
 
 
 
道すがら、タクシーの運転手さんに色々話を聞かせてもらいました。
 
 
この辺りには普通に家々があったこと。
 
 
今通っているかさ上げ道路の海側は、また津波がきたら家が流されてしまうと思うと家や建物を建てられないこと。
 
 
 
海岸沿いは今はまばらに松が残っているのですが、ずっと松林が続いていたこと。
 
 
車がおもちゃのようだったこと。
 
 
遥か向こうに見える高速道路の手前でやっと津波が止まったこと。
 

 
淡々と話してくれたのですが、やっぱり経験した方の言葉は重い。
 
 
やはり見にきて良かった。
 
距離感が判りました。
 
 
こんなに広かったんだ。
こんなに広い地域が津波で流されたんだ。
 
 
仙台市だけでなく、松島の方や閖上、名取市など、沿岸地域全体では一体どれほどの規模になるのか。
 
 
切なかった。
 
 
 
今も辛いでしょうに、色々話してくださった運転手さんありがとうございました。
 
 
 
 
荒浜小学校に近づいてくると、遠目には外観は綺麗なように見えました。
 
 
 
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津波が到達しなかった、3階以上が綺麗に見えたのですね。
 
 
続く。