本日はBUNGOですⅰ

 

西街道の一つ、「豊後」は大分県の大部分を表す地名です。 元々、日本に「豊国(とよくに)」と呼ばれる国があり、その「豊国」が「豊前」と「豊後」に分かれたことから、この地名が生まれたそうですよ。 そんな「豊後」ですが、「ほうご」「とよご」と読むのは誤りですニコニコ歩く

 

 

1394年の築城以来、600年もの間この町を見守ってきた杵築城。模擬天守とはいえ、城跡にそびえる三層の天守閣は在りし日のこの城の姿を偲ばせるひらめき無気力

 

 

室町時代初期、木付氏によって八坂川の河口にある台山の上に築かれたこの城は、北は高山川、東は守江湾といった天然の要害に囲まれた城であったキョロキョロニコニコ

 

 

その後の天災、震災などで城も場所や形を変えながら、城主もまた前田、杉原、細川氏と入れ替わり、小笠原氏、そして松平氏を最後に江戸の時代も終わりを告げ、杵築城は新たな城主を迎えることなく今に続くパー笑ううさぎ

 

 

文献史料と発掘調査成果から「一国一城令」による破却以前の城の建物構成や構造が分かるなど、江戸時代初期の城郭の実態を知る上でも重要であるとされ、2020年3月に台山地区の城跡と麓の藩主御殿跡が国の史跡に指定された。現存するのは一部石垣などちょっと不満赤ちゃんぴえん

 

 

現在では、山上が城山公園として一般にも開放されていて、市内のあちこちで発見された国東塔など貴重な石造物を野外展示している石造物公園もある看板持ちニコニコ

 

 

また島津の猛攻撃に2か月も耐えたことから別名「勝山城」とも呼ばれている看板持ち

大分県杵築市杵築16-1

 

 

本日の一品「キュロパト」!

 

 

どすラブラブ!ラブラブ!どすにひひにひひ