本日は大分散策③です!

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府内城を後にして臼杵城です

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臼杵城は戦国時代の一時期北九州に勢力を誇った大友宗麟によって臼杵湾に浮かぶ丹生島に築いた平山城とも海城ともいえる城です。

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臼杵川河口にあった丹生島は周囲が断崖絶壁で西側にわずかに陸地に面する天然の要害で、これを丸ごと城郭としたものです。

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文禄2年(1593)文禄の役で大友氏は改易になり、福原直高(石田三成の妹婿)が入封するも3年後の慶長2年(1597)には太田一吉が代わって入封し、太田氏の改修・拡張で現在の臼杵城の基礎が出来ます。

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慶長5年(1600)にはまたもや城主が替わり、稲葉貞通が入ります。稲葉氏の初期2代で大手枡形・三の丸が整備され現在見られる臼杵城の姿が完成します。

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この稲葉氏が16代続き明治維新を迎えます。

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臼杵城は、海に浮かぶ城をイメージしていたが、今では町の中に浮かぶ城です。 ただ、本の丸東側は500mほどで海。 臼杵湾を望む光景はなかなかのもの。

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臼杵城は、東西に長く臼杵湾に浮かぶ四面断崖となっている丹入島に築かれ、唯一西側に橋を架けていた。 稲葉氏修築の際に古橋口西側の洲に三の丸が拡張されました。

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丹入島には西から二の丸・本丸が置かれ、二の丸と本丸の間には空堀が掘られ、今もこの遺構は良く残っています。 本丸東隅にある卯寅口(搦手口)は、海に向けて開かれ海への玄関口でもあり、落城となった時の脱出口でもあった。

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近年、臼杵公園として整備され、天守台と空堀の石垣、着見櫓台の石垣など近世城郭へと修築された様子がよく分かる。 

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二の丸大門も復元され、現存する畳櫓と卯寅口門櫓と共に臼杵城のシンボルとなっています。

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