エキサイトの方ではもう10年近く
あちらには、悲しいことや、愚痴は書かないと
決めているので、こちらで新しく開設しました。
とはいえ、あっちとこっちリンクするかどうかは
まだ決めかねてますが・
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八月の終わり、最愛の父がこの世を旅立ちました。
父の発病から、旅立つまでの1年弱のお話を
すこしづつ綴ります。
書くことにより、私と同じような人の立場の方の
お役に立てればと思うことと、わたしも父との日々を
思い出として記録したいと思いました。
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平成27年11月5日のことです。
私の実家は自宅の隣町でして、時々両親とも
ばったり出会うのですが、その日はコンビニの
ラーメンのコーナーで、カップめんを物色している
母に遭遇。
訳を聞けば、父がここ数日食欲がなく
ラーメンなら(好物)なんとか食べるとのこと。
父はその頃まで、
朝から唐揚やステーキを食べてた男でして(汗)
「食欲がない」はめったにないことなので・・。
その数日く前にも仕事前に実家に寄ったとき
朝から唐揚げ揚げてる父に
「はっきりいって、うちのくにおよりずいぶんお父さんのほうが
食欲旺盛で元気じゃわ」と言ったばかりでした。
なので食欲がないとはよほどのこと。
気にしつつ母にお勧めのカップめんを教えて
仕事に向かいました。
その日は午前中に東の方で打ち合わせがあり
打ち合わせ終了後、どうにも母の
「父が食欲がない」が気になって・・・。
父の主治医でもあるH大学病院に連絡
(父は間質性肺炎という治療法のない難病で10年間毎月
大学病院で検診を受けていました)
父の症状を電話に出た医師に伝えると
「すぐにでも、お連れください」とのこと。
なので、打ち合わせの帰りに実家により
(幸い仕事場、実家、自宅はすべて近いので)
父に支度させ、車で数分の大学病院へ。
父は見た目はそんなに大したことはなさそうに見え
多少呼吸が苦しそうなのと、熱があるのか顔が紅潮してるのを
除けば、いたっていつもの父でした。
車の中でも「まぁ、たいしたことないと思うけど
アンタも年じゃけんね、
一応ちゃんと診てもらえば安心じゃん」と言えば
「ほうよ、あんたたち大騒ぎしすぎよ」と。父もどこ吹く風。
幸い診察時間も過ぎており、人も少なく
病院に連れて行くと、主治医とは別の30歳くらい
若いドクターが待っていてくれ、父は即車椅子。
このときはまだ私も父もそんな「大事」の幕開けになるとは
思いもよらず、「車椅子、じじくさーい」とか
父も「何時頃帰れるかね?」などと軽口をたたきあってました。
ところが、医師が言うには
「お父様、肺に水がたまっているかもしれません
それで、呼吸が苦しいのかもしれないので
今から、検査します」とのこと。
そのときの私はまだ無知で「肺に水が溜まる」ということが
どんな恐ろしいことなのか、まったくわからずで。
「こりゃ、かかりそうじゃな」と暢気にタブレットで
妹にメールしたり、夫にメールしたりしながら
待ちました。
そこへ、医師のまさかの言葉
「お父様、しばらく入院していただくことになりますので」
「はぁ????入院・・・ですか??」
「はい、肺に溜まった水を急激に抜くと危険なので
すこしづつ抜きます。なのでしばらく入院して頂き
水が出切るまで、いていただきます。」
「ということで、今から肺に管を通す施術を
行います。よろしいですよね?」と
肺に溜まった水を抜くこと自体はそこまで
大したことではないみたいなので、一安心。
(街医者でも注射器で抜くこともできるようなので)
その間に父の入院の支度をして戻ってくることにしました。
気が動転してたんでしょうね、
ドレナードを施してる部屋においた父のカバンに
駐車場の券を入れたままで出てきて、駐車場でもたつきました(苦笑)
幸い係りの人が気を利かせてくださり無事出ることができました。
今思えば、ずいぶんどたばたとしたものです。
そのときの私は
「父は肺に水が溜まったため、呼吸が苦しかった。
この水を抜けば、また呼吸も元に戻り普通の生活に
戻ることができる」と
信じてまったく疑ってなかった。
なので、実家に戻り母にも簡単に説明して
とりあえず、父の身の回りのものを詰め込み
病院へUターン。
母も「入院させてもらえるなら、それが安心じゃ。
お父さんもう調子が悪いけぇ、機嫌は悪いし
苦しそうじゃし、うちゃぁもぉ、気が気じゃなかった」と
どこか、ほっとした顔。
わたしもその日の晩予定にあった飲み会に
少し遅れそうなものの、普通に参加する気でしたし・・。
病院に戻ると、施術を終了し肺のあたりから
管が出てる父がいました。
「どう?」と聞くと
「うん、少し呼吸が楽になった気がする」
「そりゃそうじゃろう、お医者さん言いよったよ
”プールでおぼれているような状況でした”って」
「これで水が出きったら退院できるよね?
一週間くらいかね?」
「来週は、町内の用事がたくさんあるけ
長いこと入院しとるわけにはいかんのよ」と。
父の生きがいは、ボランティアと、町内会のお世話。
実際自分も年寄りのくせに、「S和会」などと
こじゃれた名前の老人会の会長などをしており
日々ほとんどの時間をこういったものに費やしていたのです。
「わからん、看護師さんに聞いたら
”1週間~3週間くらいですかねぇ?”言いよっちゃったが
1週間と3週間じゃ3倍違うわ わははははは」と
笑いながら、父の病状の説明書を見ると・・。
細菌性胸膜炎 と書いており・・
「あぁ、何か菌がはいりこんじゃったのね」と
思ったのですが・・・その下に書いてたのは
「肺がん」の文字・・・。
いや、まさかね。だって二週間前にもここでレントゲンとって
検診してもらってたんだよ??
一瞬目を疑いましたが
それでも大きく書かれた「細菌性胸膜炎」の文字と二週間前に
検診してたのがありどこか安心してて・・。
父もそれを読み「癌とかじゃないよね??」と言うので
「うん、細菌性って書いてるからそっちじゃないの?」と
「わし、癌とかじゃったらビビリじゃけん、立ち直れん」と
笑いながら言うので
「あんた、以外にネガティブじゃしへたれよね」と
冗談を言い合ったり・・。
とはいえ、時間も時間だったの
とりあえず、詳しいことは明日説明してくださるとの
言葉を聞き「ええこしとんよぉ」と
大学病院を後にした私でした。
