相変わらず、治療らしい治療もなく

肺からの水ももうそんなに出てる様子もなく

ワカゾーに聞いてみても

「いや、もう少し管はいれておきます」とばかり。

 

肺の水の検査の結果もなかなかでないまま

あっという間に1週間。。。。

 

「町内の行事こりゃ、迷惑かけちゃいけんから

断らんとね」と父もさびしそう。

 

「ほうじゃね、今は気にせず早く退院するんが

先決じゃね」

 

「病院は気が滅入るし隣のベッドがうるさいけ

夜がなかなか寝れんしね」と父。

「それに、向かいのベッドの人はどうやら

ガンみたいで、結構苦しそうじゃし」と

 

それ聞きながら

(そうか、ここは肺がん患者の病室なんじゃな)と

ぼんやり考えたり

 

「お父さんの病気(間質性肺炎)がまだ軽い方で

他の人はまぁまぁ重いんじゃろうね」など

軽口をまだ叩ける余裕がこのころはありましたが

正直内心はビクビクです。

 

父の場合は、間質性肺炎自体は

特にこれといった治療法がないので
水が溜まった原因がガンでなければ

管を抜いてさっさと退院できるんですが

もしガンだった場合は。。。そうもいかないので

この頃の私はもう仕事してても、何してても

そのことで頭が一杯。

 

毎日朝、晩と病院によるも一向に検査結果の

ちゃんとした話しもないまま時間ばかりが経過・・・

父も水が抜け切り少しは元気になったようで

「焼肉いきたいねー」とか「早く娑婆に出たいなぁ」とか

もう退院のことしか考えてない。

 

入院して、10日くらい経ったときでしょうか

病室に居たらワカゾーが呼ぶので

(内心、父が居るときに呼ぶなよって思いながら)

 

「ちょっと、話ししてくるね、退院の件かもしれんし」と

廊下へ・・。

 

すると

「やはり、ガンでした。ステージⅣの」と

いとも簡単に告知されました。

 

「は??????」

 

ガンかもしれないと聞いてから

あれこれ勉強して、覚悟はついてたものの

やはりショックです

 

「死ぬとか?そんな話しではないですよね?」

(最近はガン=死ぬではないようなので)

「いや。。。」

 

「せめてあと2-3年とか?」

 

「いや・・・余命がどれくらいかってことは

誰にもわからないのです」

 

と言葉を濁します。

「でも、1ヶ月前にここでレントゲン撮ってるんですよ?

そのときはガンという言葉すらなく、今ステージⅣですって言われても

H教授は見落としてたってことですか?????」

 

疑問は募るばかり。
とはいえ、ここ(廊下)で押し問答しても仕方ないので

翌日治療方法なども含め詳しい話をすることで

一旦ワカゾーとは話を打ち切ることに。

 

病室に戻ると父が不安そう
泣きたい気持ちで一杯の自分に

「泣くなわたし」と言い聞かせ

明るい顔で

「退院と、今後の治療の仕方についてだったよ」と

一世一代の大嘘の始まりを演じました。