約半年に渡って準備をしてきた公演、ぶれえめん.らぼ『月に恋想、言の満ち欠け』が、先日無事に終演しました。
なんだか抜け殻のようで、言葉が出て来ない。あまりにも色んなことがあったし、上手くいってないことも当然あった。
先に、自分のことを書こうかな。
私は、ブレーキをかけるのが嫌いだ。苦手じゃなく、はっきり嫌いだ。何一つ捨てたくないし、私の身体が頑張ることでそれが叶うなら、何も惜しくはないと心底思っている。
かなりの序盤から、今回の個人的テーマは「自分に負荷をかける」ことだった。馬鹿みたいに現場とセクションを掛け持ちして、色んな人に迷惑をかけた一昨年まで。意図的に出演や企画の数を減らした去年。そして、もう一度ギリギリまでやってみようと始めた今年。1番の目標は、ブレーキをかけないこと。やりたいこと全部やる。欲張る。自分で決めたとはいえ、久しぶりの無理はキツかったなあ。結局みんなに迷惑かけたし。怒られもした。でも、あーあ。楽しかったんだよなあ。
自分の不安定さについてはよく分かってるつもりだ。主宰としていつでも堂々と笑ってるなんて、私には無理な話。何かある度に大騒ぎして、パニクって、みんなに甘えて助けてもらって話聞いてもらって。そんなことの繰り返しがこの稽古期間だったように想う。本当は、役者さんには役者だけやってて欲しいのになあ。私の無茶と我儘が、今回もそうさせてくれなかった。今回は、舞台面総入れ替え。舞台と客席の位置も照明も、毎ステージバラして仕込み直し。私は全チーム違う役で出演で、作演出で照明。この企画が上がった時から、これは決まりきっていたと思う。馬鹿だ。本当は体力も精神力もギリギリで、本番の後立てなくなったり、みんなが帰った後の劇場で意味もなく叫んだりした。馬鹿だ。一昨年だったか、マチソワ間に倒れてステージ1つ飛ばしたことが何度もよぎった。それでも、今回は絶対に大丈夫だと何故か分かった。実際、完走した。
多分、どれだけ周りに迷惑をかけたって怒られたって、私はこれをやめられない。楽しいから。楽しいと言ってくれるみんながいるから。みんなの楽しいのためなら、どれだけ削れたって構わないと本気で思った。しかしそれで迷惑かけるのもそのみんななんだけど。私は、もっともっと強くなんなきゃだな。体力つけて、またこの無茶にリベンジしたい所存である。
さてさて。作品のことを書かなきゃだなあ。
今回は、愛の話。自分の過去作品を集めて、それを繋ぐために新作を書いた。戯曲のことは、販売用戯曲のあとがきにでも書こうかな(ご購入くださったみなさん、ありがとうございました)。
だからここでは、立ち上がった舞台と役者さんのことを中心に。
まずは、黎明チーム。
朝を意味するワードをつけたこのチームは、一番最初にスタートを切った。
舞台面は1番オーソドックスな、バニラスタジオではよく使われている形に。配役も、はまり役だろうなという人を中心に、信頼できるメンバーと組み合わせで組んだ。
twilightには、ぶれえめん.らぼの久遠琴音と、実はひまじん企画時代に参加してくれたことのある春江澪。
琴音さんの朝ははまり役部門。元気な少年役の彼女は何度も見ていたし、前回の『ジンセイゲーム』もそんな役だった。あと、ぶれえめんのメンバーでもある彼女だけど本当は役者に専念してほしくて、割と重めの役を振っているのも正直なところ(直接はあんまり言わないけど)。しかしさすがメンバーと言うべきか、少し喋っただけで「あ、こういうことだね」と分かってもらえる場面が何度もあって、演出的にはめちゃくちゃ助かっていました。琴音さんには愛嬌がある。それは芝居にも現れるし、稽古場でもそう。その愛嬌の出し方と、悪い言い方をしてしまえばズルさみたいなものが、朝には合っているなと思った。
そこへ組むのが未知数の春江澪。彼女のことは知っているとはいえ何年も前。それ以来共演すらしていないのだから「大人っぽくなったよね」なんて失礼なワードが出るのも仕方ないと言うべきか。実際、色気?みたいなものが出たなあと思った。大人っぽさの中にある一生懸命な部分が、きっと銀に近しかったんだと思う。ここで初めて白状するけど、最後のシーンの芝居、その選択肢、すごく好きだったんだよなあ。綺麗、という言葉がよく似合う芝居だった。
そこへ続く演目『i』に加わるのが、今回初めましての小泉日向さんと前回から一緒している宮本葵さん。
2人の空気は、なんつーか2人のものだった。2人の役者が加わったというよりは、1つの何かが加わって新しい物語を始めるような、そんな感覚。
稽古序盤の日向さんの印象は、スロースターター。稽古に来る度に芝居が変わって、「今日は〇〇の感じでやってみた」を試しまくる、みたいな。達者な役者さんではあるから正直全部ノーではなかったんだけど、それでも毎回違うものを持ってくる。積み上げる演出の仕方は彼女には合わないんだろうなと思ったのを覚えている。でも、記憶を失くしたナルシスという役の虚無から1番に抜け出たのは彼女だったように思う。掴むと早い、というのはこのことで、その後の安定性はすごかった。安定と同時に、打てば響く役者さんなんだなというのが分かったのは、私が役者として対峙していたからかな。楽しくなっちゃって、毎回違うことしてごめん。帰ってくる音が毎回違って、楽しかった。
葵さんは、本番に入ってからこそ変わり続ける役者さん。ぶれえめんにおいてそれは歓迎すべき性質で、私はそれを楽しみに葵さんを誘った部分すらあった。前回の印象から、怒る芝居は苦手なのかなと思っていたんだけど。今回はいつの間にか綺麗に怒るようになってたなあ。別班相手役としては悔しいところだけど、結局1番安定してたし楽しそうだったのは黒猫だったもんな。ハマると強いってのはこのことか。それから、葵さんは目の芝居がいい。ハマりさえすれば1番欲しいときに1番欲しい目の表情が出るから、色猫黒猫の場面では直近でそれを見てるのが楽しかった。黒猫ナルシスのシーンもよかった。「あー、いい顔」ってダメ出し書いた記憶あるわ。
twilightから続いてスズランとして登場する琴音さんは、上記の2人の中ではなぜか異質に見えていた気がする。私自身の相手役だから見方は変わるかもしれないけれど、一生懸命「儚い」をやってみせるような、ズルさ。スズランが1番持っていたい愚かしさ。「スズランを悪役にしたくない」はどっかのチームの稽古場で言った気がするけど、今思い返してみると、その通り憎めないキャラクターに仕上がっていたんじゃないかと思う。あと、芝居の上で寄りかかれたのは琴音さんだったから。2人だけのシーンで遊び散らかすのは相手を選ぶから。私が色猫のときのスズランが琴音さんだったのが、なんだか良かったなあと思う。ありがとうね。
2つの演目を繋ぐ新作『Lu-na』には、The・ハマり役の2人を。加藤正悟さん&ゆで ちぃ子。
この組み合わせに関してはゆでの猛プッシュにより決まった部分もあったりなかったり。
水仙という役を書き始めたときから、多分この役は加藤さんに渡すんだろうなと思っていた。本人もそれは感じ取っていたみたいで、案の定な配役に。水仙は私の中で「普通の人」だった。今電車に乗ってても違和感のないくらい、普通の人。たまたま言葉が達者だっただけで詩人になった、ただの一般人。通りすがりの一般人の口から語られるお話が、壮絶な愛の物語であればいい。そんな脳内イメージを見事に再現してくれたのが、加藤さんだった。芝居において「普通」をやるのは難しい。加藤さんの生む「普通」は、曲者だらけのこの戯曲には必要な「普通」だったんだと思う。
まあ、そこに絡むのがゆでだから、一筋縄じゃいかないんだけど。ゆではゆでで、「少女」的な役は得意分野。だからこそ演出的には色々意地悪言って引っ掻き回した部分も大きかったけれど。得意分野なだけに、行間に遊びを持たせるのは上手かった。台詞のない時間を自然に過ごすようになったら、きっとその役は生きるから。ゆでの作ったよるは、物語の登場人物全部に感情移入する、幼い子供のようなキャラクターに仕上がったと思う。心のまま彼らに声を掛けるのに、届かない伝わらない。戯曲全部を通して生まれる救われない虚しさや諦めを一身に引き受けるような、そんな存在。本人も毎回辛そうにしてるのが印象的だった。3チームの中で1番危うくて儚いのは、ゆでの作ったよるだったかも知れない。
やっぱり黎明は、役者陣の安心感が強かった。私が役者として1番楽しんだのは間違いなく黎明で、それは私が持ってた役柄のせいもあるけど、1番は役者陣に対する信頼が大きかったように思う。演出と役者を兼任することの危険性は分かっているつもりだ。現に、今回1番安定しなかったのは私だから。稽古終盤、ましてや本番入ってから遊び始めた私に、芝居で応えてくれた黎明のメンバーには、頭が上がりません。毎回毎回陥ってしまう甘えだけれど、今回も。
黎明は総じて、楽しかった。
黄昏チームは、男性キャストがいないというだけで他の2チームとは雰囲気が違っていたように思う。ポップではあるけれど柔らかいわけではなくて、黎明が紙なら黄昏は三角の積み木みたいな、そんな質感。黎明を小説、黄昏を絵本や漫画と形容したのは誰だったか。
黄昏の役者陣は、それぞれ真っ当に真っ直ぐに役と向き合っていたように思う。演出していて解釈が違うなと感じる部分も多くて、その擦り合わせに時間をかけたイメージ。稽古序盤は、黄昏が1番戯曲の話をしてるんじゃないかな。柔らかく、分かりやすいだけの舞台にならなかったのは、各々の我の強さと言うか、役それぞれのしっかりした地盤?があったからだと思う。私は私で、鬼のように苦労したけど。
twilightを渡したのは、春江澪、糸平由美、ゆで ちぃ子。の3人。
糸さんは身長もあって身体の使い方も綺麗だから、今までは大人びた役を振ることが多かった。もちろんそれもハマってはいるんだけど、もっと幼くて、一生懸命な役の方が本人の性質と合っているんじゃないかと思い始めたのが最近のこと。ある意味では不器用で、そのまま突っ走っていきそうな空気が、朝にはよく合っていたんじゃないかと思う。とはいえ役者としては考えて考えて解釈を詰めるタイプの人だから、役も細かく細かく作ろうとしてくれた。糸さんの口からは私が想定していなかった解釈が飛び出すことが多くて、それを聞くのはいつも楽しかった。
ゆでの銀は一級。銀の持つ「役割」というキーワードが1番光ったのは、ゆでだったんじゃないかな。黎明のよるみたいなふんわりした役はゆでの十八番だけど、私は実は彼女の低い音、真っ直ぐな目線が好きだ。地声に近い、「腹」を感じさせる音。銀はどんなに揺れても弱くあってはいけないから。役割を持って自分を律する。私はゆでを憑依型だとは思わないけれど。それでも一つ一つの役に対して、真っ直ぐに向き合うタイプではあるんだなと思った。この戯曲の中で唯一と言っていい、感情だけでは動けない役を、その役割を見事に果たしていたと思う。糸さんとのコンビも良かったなあ。凸凹感もありつつ、綺麗に噛み合っている部分もあって。
澪さんの影は、純粋という言葉がよく似合う。きっと何よりも素直で真っ直ぐな、シンプルな感情に突き動かされて生きているキャラクター。澪さんも目の綺麗な役者さんだから。舞台上にいる割に台詞の少ない影をやるには、その表情の芝居が良かったんだと思う。今になって思うけれど、澪さんの影は特に幼さを残していた。絵の具の黒じゃなくて、光の黒。これから色んなものを吸収して色を得ていくんだろうなという幼さ。私のイメージの影は絵の具の黒の方だったから、それがなんだか不思議だったのかも知れない。
特にtwilightに関して、黄昏はチームプレイの色が強かったのかなあ。仲の良さは遠慮のなさにも繋がっていくから、それはいい作用だった気がする。
『i』に加わるのが、久遠琴音と石橋由梨。この2人のペアも、不思議な組み合わせだったなあ。真っ直ぐに出る声と声のぶつかり合い。そこに愛を見出すとしたら、きっとあまりに不器用で、現代にいたらきっと、愛し合っていても結ばれていない2人、みたいな。
琴音さんのナルシスは、ずっと揺れていた気がする。登場シーンから過去のシーンへ、そして時間軸が戻ってラストシーン。全てにおいて違う表情を見せていたし、その不安定性が私は面白かった。そもそも、『 i 』の初演を演出したのは久遠琴音である。この戯曲のややこしさは、きっと1番分かっていたんだろうな。多分、由梨さんとの相性も良かったんだと思う。琴音さんの中性的な魅力が、同じく中性的な芝居の由梨さんと上手くマッチしていた気がする。
由梨さんは、とにかく声が真っ直ぐ出る役者さん。時には欲しかったりする乱雑さやブレがほとんどなくて、カラッとしたお芝居をする。それが気持ちよく、同時に難しかった。特に黒猫は。求めることをやめたくせにずっと怒っているあのキャラクターは、不安定であることが一要素みたいな部分もあったから。どこかの稽古中に、いっそのことカラッとした方向で作ってみようかという話になった。出来上がった黒猫は、私が戯曲から想定していたキャラクターとは大きく違って、ライトで真っ直ぐで、ある意味意外だった。役者目線の話をするなら、由梨さんの黒猫があれだったから、水仙はああなったとも言えるんだよなあ。
糸さんは、スズラン2回目。今回の中では唯一の同じ役2回目かな。朝からの繋がりと、前回からの変化をつけることに奮闘していた印象。スズランは、『 i 』の中ではかなり悪役に近い役どころ。全ての発端はスズランだし、きっとスズランの抱く愚かしさが1番邪悪だから。それでも、悪役にしないでねと言ってあった。スズランの一生懸命さは複雑で、弱さを隠す弱さ、みたいな。糸さんとはそんな話をたくさんした気がする。相手にはバレたくないけどお客さんには伝わりたいんだ、みたいな。朝のときもそうだけど、糸さんはかなり深く細かく考える役者さん。感覚的な私の語彙を紐解こうと言葉を尽くしてくれた。スズランのぐるぐるした複雑さは、糸さんが1番理解していてくれたんじゃないだろうか。
澪さんの色猫は、優しくて丁寧で愛に溢れた色猫。影の性質も強く残していたように思う。本人の性質上、ズルくなりきれないところが由梨さんの黒猫とは不思議と噛み合っていて、喧嘩の場面が楽しそうに見えたのは面白かったなあ。スズランとの場面は重たくて、柔らかくて、黒猫ナルシスの鋭さとは対照的で。やっぱり彼女は、静かに重たく落とした表現がよく似合う。何度も書くけど、目の強さのせいかな。だからこそ、もし次があるならもっと激しい役を、と画策してみたりもする。まだまだ一緒に遊びたいんだよなあ。
黄昏の『Lu-na』は、とにかく不思議だったね。私が定まらないせいで、こころさんには迷惑をかけ通しだった。それでも毎回発見があって、実は楽しかったのだとここで白状する。ごめんね。
こころさんのよるは、なんだか大人びていて。何も知らない無邪気な少女というよりは、何もかも悟った神様的存在のように見えていた。大人で語り手で、ましてや黄昏に限っては作家自身のはずの水仙がどんどん諭されていくような、幼い子供に戻っていくような、不思議な感覚を覚えたんだ。子供の方が勘が鋭い、なんてのもよくある話だけれど、それとも違ってて。多分、こころさんのよるは本当にずっと大人だったんだと思う。だからこそ、水仙の灯りを失ったときの揺らぎが立つというのか。大人ぶっていただけなのかも知れないな、なんてそのとき初めて分かる、みたいな。こころさんは芝居中も冷静に周りを見るタイプの役者さん。リアルタイムで色々考えてくれているんだろうなというのが、稽古段階からよく分かった。本当にたくさん助けてもらった。
黄昏は、チームプレイの色が強かった印象。私が水仙をもらったのがこのチームだったのは、ほぼ必然かも知れない。登場人物たちを見ていくうちにどんどん感情が変わって、「僕は作家じゃない」と言い張る水仙が、どんどん自分の物語を紡いでいくような感覚だった。どうしても私がやると作家と詩人の境は曖昧になるから。
みんなに助けてもらって、みんなに動かされたチームでした。
可惜夜チームについては、後半へ続くってことで。


















