役作りという行為は、何年か前にやめました。
多分、演出をやり始めた頃だったと思う。
同時に、自分の役を過剰に愛することもやめました。
誰かのために生きることは、難しいですが尊いことだと思います。現実世界でそれを行うのは、実に難しいけれど。
ではフィクションの世界ではどうか。やはり難しいです。板の上と言えど自分の役は自分なのであって、台詞が多けりゃ嬉しいし、目立てれば楽しいのです。批判しているわけじゃありません。もちろん作品のため、全員が自分の役に没頭することは必要不可欠です。纏めるのは演出家の役割ですから、役者は余計なことは考えず、やりたいようにやるのがいいと思うのです。
導入はこのくらいにして、本題を。
殺陣をやっている知り合いが、こんなことを言っていました。
「私はやられ役の方が好きだ。自分が上手ければ上手いほど相手がかっこよく見えるから」
私は殺陣には明るくないので、なんだか損な役回りだなとも思ったのですが、いい考え方だとも思いました。
お芝居にも言えることだと思ったから。
自分の役について考えるとき、誰のために存在する役なのかを考える。誰のための台詞で、誰のためのシーンなのかを考える。自分の役以上に、その人を愛そうと思っています。同じように自分の役を思ってくれる人がいたらちょっとだけ幸せだなという打算付きで。
具体的な話をすると今回の役、役名、ストーリーの構造(私が理解しているもので正しければ)など、まだ出してはいけない情報まで出てきてしまうので避けますが。
自分が出ているシーンで、好きなシーンがあります。それは、私が輝かせたいキャラクターが明確になったから。そのキャラクターのために生きられると思ったのです。自分が光源となって光を当てられるって、幸せなことです。
…ちょっとだけ語る。
私がいただいた役は、馬鹿で、生意気で出しゃばりで、芯の強い子です。丁寧にというよりは、粗野に放ってみたい、そんなキャラクターです。そんな子だから、愛し方も乱暴だといいな、と思うのです。
はいおしまい。
私の目標は、ベーシストみたいな役者になること。誰をボーカルに据えるのかは、その時々で変わります。みんなみんな魅力的であれ。そんな気分です。