仕事 | 伝えたい人、音にならない考え事

伝えたい人、音にならない考え事

演劇、表現活動での色々。独りよがりだけど伝えたい、そんな支離滅裂。

高校生のとき、大尊敬する役者さんに「演劇やってるの?」と聞かれ「まだ「やりたい」の状態ですかね」と答えた。数年後、久しぶりにその人に会ったとき「演劇やってるって言えるようになったんです」と報告したら、心なしか嬉しそうにしてくれて、それがなんだかものすごく嬉しかった。

「演劇やってる」の定義。高校生の私にとってそれは、「作演出出演のどれかで表舞台に立っていること」だった。当時発した謙遜めいた言葉は、いわゆる裏方と呼ばれるセクション(特に、私が当時関わっていた制作セクション)に対してはなんとも失礼なものだったのではと、今にして思う。

今の私は、多分「演劇やってる」の部類に入るのだろう。でも、芝居で食べているわけではない。それ以前にまだ被扶養者だし。例えば、毎公演毎公演赤字が当たり前で自腹を切って、生活費どころか次の公演費用までバイトで稼ぐ、そんな芝居人がいたとする。でも収入源がどこにあったって、その人が「演劇をやってる」ことに違いはないだろう。

さて。先日稽古場で、「プロってなんだろうね」という話が持ち上がった。「1円だろうとお金を貰うならそれは仕事で、それをする人はプロだね」なんて持論を展開したものだが、それでいくと私、プロやん。そう、私が「遊び」と称して好き勝手やっている公演も「勉強」と言いながら何も知らないくせに飛び込んでいるスタッフセクションも、全部「仕事」なのだ。
よく、「お金をいただくんだから」とか「これじゃあお金とれないよ」みたいな言葉を耳にする。一理あるどころではない。その意識は絶対に必要だ。でも意地悪な私はこう考える「無料公演なら手を抜くわけ?このクオリティでもいいわけ?」。んなわけないよね。それでも、お金というのは人と人を繋ぐ絶対的な価値基準として存在しているのだ。

最近、ほんとに最近、自分のやってる表現活動を意識して「仕事」と呼んでみることにする。呼ぶのはまだ違和感あるにしても、考えることにはしている。我らがチーフ陣や尊敬する役者さん達と同じ意識でフィールドに立ちたいから。そして実際にお金を受け取ってその現場にいるからには、それ相応の働きをしたいというもの。単なる「好きだからやる」から、「大好きな人と一緒にいたいからここにいる」から、少しだけ新しい価値観が芝居に加わったような。これが大人になるということかしら。興味深い。はっ。そうか。これが俗に言う「責任感」というやつか。へええ。

そうそう。「好きなことは仕事にしないほうがいい」って昔からよく言いますよね。この話には続きがあって、「1番好きなことを趣味に、2番目に好きなことを仕事にするといい」だそうな。でもねえ、私、ほんとに無趣味な人間なもので、芝居以外にはあんまし興味ないんですわ。それに、そんな回りくどいことしてられないって。

まあ、休学したとはいえそろそろ大学卒業が近づいて、将来のこととかは一応考えたりもするわけなんですが。私ははなから就職する気はなくて、「やりたいことしかやらない」のポリシーを今も守り続けている。でも、ちゃんと仕事になるかなあ、私のやりたいこと。需要と供給が成立して、ちゃんと価値が生まれるだろうか。芝居というものをライフワークにしていくことについて、なんとなく考えてしまう今日このごろ。

仕事って、変な感じだなあ。