わかんなくなった | 伝えたい人、音にならない考え事

伝えたい人、音にならない考え事

演劇、表現活動での色々。独りよがりだけど伝えたい、そんな支離滅裂。

オーディションに行ってきたんです。高3の頃から毎年しつこく受け続けている、とある団体のWSオーディション。初めて観たときから大好きで大好きで、今のレベルじゃあ絶対に届かないし敵わないのは分かりきっているのに、それはまあ鬱陶しい(だろうなという)ほどに毎回毎回押し掛けている。
やー、今日も(?)柄にもなく緊張した。

当たり前だけど、オーディションには役者さんが集まっている。それぞれ色んなキャリアやバックグラウンドを持っていて、年齢もめちゃくちゃ幅広い。中にはびっくりするような経歴の持ち主もいて、私なんかよりよっぽど覚悟を持って演劇の世界に飛び込んでる人もたくさんいる。ほとんど年に1回しかオーディションを受けない私にとっては、それだけでもう刺激。もちろんこの先一生合わない人も多いんだけど、その出会いはめっちゃ大事な経験になる。

だから、去年はそれで不安になった。あれだけ覚悟を持って、役者というセクションにエネルギーを注ぎ込んでいる人達の中で、自分ってなんなんだろうって。自分の団体で(それもお一人様団体で)好き勝手やって、たまーに思い出したように客演をしているだけの私は、ここにいる価値があるんだろうか。あんな人達の中に混じって、何ができるんだろうか。
元々、役者という存在には強い憧れがある。自分自身が演劇で活動を始める前から、「役者さん」を見るのが好きだった。舞台でも映画でも、物語よりもそこに存在する「役者さん」を見ていたかった。もちろん、演劇の世界では花形も花形。1番目立つセクションに、単純に惹かれたというのも大きいと思う。舞台の上やら画面の向こうやらにいる「すごい役者さん」達に会ってみたくて、実際会った後はずっと一緒にいたくて、演劇の世界に入り、今も続けているんだと思う。
それから、演出やらスタッフセクションやらを色々知って、それぞれの仕事をかじりまくって、それ自体はいいことだったと思う。でも、そうやって色んなセクションに手を出したことによって、1番最初に憧れていたはずの「役者」というセクションも、その中の一つに埋もれていった。私の中で、全部の役割が同列に並んだ。そうなるともう、全力を挙げて役者に情熱を注いでいた状態には戻れなくて、それがどうしても申し訳なくて。「役者やめようかな」と、かなーり悩んだ。毎回、「これで最後にしよう」と思いながら舞台に立っていた時期もある。それでも踏ん切りが付かなくて、だらだらと続けてしまっていた。今思えば、それこそ申し訳ないし失礼な話なんだが。やる気出せ、去年の自分。

前置きが長くなってしまったのだけど。そいで今年も、「今回で最後」とか思いながらまた性懲りもなくのこのこと行ったわけです。いやマジでやる気出せや。
で、またしても色んな役者さんと出会ってきて。思っちゃった。「やばい。役者やりたい」って。去年と真逆のことを。なんならつい2時間前まで思っていたことが180度裏返った。なんでって言われたらそれも分からんのだけど。ただただ役者として、舞台に立ちたい。極論、演出も主宰も辞めてもいい、くらいに思ってしまった。
(自分の企画が絶賛稽古中に言うことじゃない。分かってる。でも言う)

ほんとに、ほんとにもうわかんなくなった。何年も悩んできたし、いつかは決めなきゃいけないことなのに、色んな経験すればするほどわかんなくなった。どうして自分は1人しかいないんだ。どうして人生は1回しかないんだ。

でも、なんでそこまで思ったかって、やっぱり演出家さんの力なんだよなあ。やっぱり自分はこの人の作る芝居が好きで、そこに集まる役者さんやスタッフさんみんなが集まるべくして集まっていて、その中に自分もいたいって、思わせてくれる人に出会えたから。つくづく、自分の人生は出会いに恵まれている。
そして同時に、その人のすごさを実感して、演出としての自分がどうでもよくなってしまった。圧倒的を見るって、こういうことなんだよな。まあ、私の演出が未熟なのは当たり前なんですよ。だってなんの訓練もしてないんだから。自己流が過ぎるわ。(一応書いとくと、別に嫌になったわけじゃないです。演出は演出で楽しいし、これからもやると思う。矛盾してるけど)

あー、なんで今こういうこと思っちゃったかなあ。折角今演出やれてるのに。役者もやれてるのに。今日思った「役者やりたい」は、「楽しい」とは全く別の感情。ただ「わ、やりたい」って。悟り開いたんかなあ。
価値観ってどうしてこう、なんでもないことで簡単に変わってしまうんだろう。ダメ元なのに。分かってるのに。次いつまた考えが変わるかも分かんないのに。悩む。や、今度のことはオーディションなんでね、選ぶの私じゃないんで。悩んでもしゃーないんですけどね。それはともかく、今後の身の振り方?については考えてしまう。

そういえばこれは余談なんですが(ブログなんて全部が余談じゃ)、なんだか私は「相当な情熱をもって芝居に取り組んでいる人」に見えるらしい。うーん、どうかなあ。情熱がないといったら嘘になるけど、私にとっては、単にそれしかなかったってだけだからなあ。言うなれば、自立せずにいつまでも実家で暮らしてるような感覚ですよ。諸々面倒臭がるから、そうでないと生きていけないだけ。だから案外、冷めているかも知れないなと思う。自分じゃよく分からないけど、多分、周りの人達が思っているほど熱くないよ私。私にそういうこと言ってくる人の方がよっぽど情熱ある。むしろあなた方に影響受けて熱くなってる説あるよこっちは、と言いたい。だから余計に申し訳ない。いたたまれない。時々、自分のそういう部分がとてつもなく無価値に思えるから。甘えて、縋ってるだけな気がするから。
だからたまに、演劇を辞めたときのことも考える。演劇を通じて得た交友関係とか、なんにもなくなった自分のこと。うわ、どっちみち価値ないじゃん。とか。笑えてくるわ。

今日はそんなことを永遠にぐるぐるぐるぐる考え続けて、疲れた。自己否定なんだか自己愛なんだかよく分からない思考に、ずっとはまっていた。そして余計に分からなくなりましたとさ。思考停止。

最近、余計なこと考えすぎだな。悩んでも仕方ないことに脳ミソを費やすのをやめましょう。メモリは有限。使うべきところに使わなくては。と、そう上手くもいかないのが人間の脳ミソなんだけど。あーーー。しょーもな。

てかなっっっが。今日の思考をどんどん書き出したらえらい長さになったぞ。しかも結論出てないし。ただの思考整理やん。整理もできてないけど。
うわー。ごめんなさい。