前向き | 伝えたい人、音にならない考え事

伝えたい人、音にならない考え事

演劇、表現活動での色々。独りよがりだけど伝えたい、そんな支離滅裂。

暗いです。日々。嫌なニュース(公私含め)が入ってこない日はない。毎日ニュースサイトの数字を見てはがっくりする日々。それが数字なんかじゃなくて、ひとりひとりなんだって、誰かがTwitterで言ってるのを見て、自分が嫌になる。
何か創作的なことがしたいような、せずにはいられないような。でも何もしたくないような。なかなか演劇に脳ミソをスイッチできなくて、折り紙したり歌ったり、ちょっと違うことで創造欲を満たしてみる。

演劇界では、色んな人が色んな試みをしている。前なんか簡単には向けない状態で、半ば無理矢理にでも前向きになろうとする。それを受け入れて、楽しんでいるお客さんがいる。みんな、なんて強いんだろう。

不謹慎な話をする。同時にファンタジーな話だけど(そうであってほしいけど)、このまま世界が終わるときのことを想像する。まず娯楽が消えて、衣食住が最小限になって、人口が減って、必要最低限の仕事が残る。超原始的な世界になる。そんな世界になったとして、きっと自分は真っ先にいなくなるんだろうと思う。芝居をしていない自分は限りなく無価値だし、芝居を通した出会いを抜いたら、私のそばには(少なくとも大切な人は)多分母しか残らないから。そうなったら、私が世界に存在する理由はあるんだろうか。もしも、私がいなくなったときに泣いてくれる人が1人もいなくなったとしたら、私は躊躇いなく世界から去るんじゃないだろうか。世界が終わるとして、そんなおかしな理由で、世界から人がいなくなることが、もしかして起こるんじゃないだろうか。
なんてことを、ふと真面目に考えてしまったりするのだ。そして、「違ったらどうしよう」とか思いながら、私がいなくなったら泣いてくれるであろう人の顔を思い浮かべては安心する。彼らがいなくなったら、きっと私は泣けるであろうことにほっとする。

私はメンタルが弱い。去年の秋、軽度うつになってまだ通院中である。あのときは今だに思い出したくないくらいしんどかったし色んな人に迷惑をかけた。だけど、今よりもあのときの方がいくらかマシなんじゃなかろうか。と、思ってしまう。もちろん症状は今の方がずっと軽いけれど、あのときは周りに人がいた。毎日どこかしらに出かけ、そこには私の体調事情を知ってる人がいて、助けてくれた。あのときの自分がいかに恵まれ、甘えていたのか、今ならよく分かる。ほとんど人に会わない今、方向転換は自分でするしかないのだ。

表題に戻る。前向きになろう、という話だ。最近ほんの少しだけ、前向きである。この状況に慣れてきたというのもあると思う。嘆いても仕方ない、精神が削られるだけ無駄だ、という諦めもある。戯曲を書いている。新しい企画について思いを巡らせる時間も少し持てるようになった。時々持ち上がる前述したような考えは、それはそれで仕方ないものとしてとことん付き合うことにしている。最終的に安心に落ち着くなら、まだこの世界にいようという考えにたどり着くなら、とことん考えても問題はないだろうという予想のもとに。

事態が落ち着いて生き延びたら、という表現がある。あれは、病気がどうこうとか、お金がどうこうということだけじゃないんだな、と思う。多分完全には元通りにならない世界で、存在し続けられるかどうかの戦いなのだ。必要最低限を強いられるこの状況で、いかに無意味を救い上げられるか。無駄を守れるか。私の場合、きっとそれが前向きに繋がるから。

ダラダラと書いてしまった。いつも通り、ただ吐き出したひとりごとの供養である。まあ、外向きに発するのであれば、
「私は元気です。元気な間は、できる限りの娯楽を生み出します。それが、どこかの誰かさんの笑顔に繋がることを信じて。」

っしゃ今日はポジティブに終われたぞ。