世界遺産平泉に行ってきました!!! | 好きなコードはEadd9

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錦戸亮
スノストトラジャ7ORDER
デビューしてからの彼ら皆通りました
(今はストトラ)
そして
7人→6人の関ジャニ∞の記録

地図に「平泉」の地名を見つけ、突如行ってきました。

最近マイブームの1人旅の続きでございます。

 

 

 

 

スマホの場合、読みにくい簡易ページで表示されることがあります。ここをタップしていただくと読みやすく表示されます!よろしくお願いします。はるはるまん。

 

 

 

 

現在絶賛放送中の大河ドラマ

「鎌倉殿の13人」

めちゃめちゃハマって見ております。

 

 

私、以前は歴史にぜんぜん興味がなくて。。。

(興味を持ち出したのは「西郷どん」から!推しの力は強しw)

そもそも武士の時代も、その違いがよくわかってなかったんですよね(てへへ)

 

でも源頼朝が鎌倉幕府を開いたのが1192年、

関ヶ原の戦いが1600年、

ってことは、鎌倉時代と江戸時代との間は400年あったわけで。

400年ってめちゃ長いですよね???

 

鎌倉時代ってすごく昔なわけで。

人間がまだ原始的だしなんていうか野蛮でもある。

すーぐ人殺しちゃうし。

息子、娘、甥、姪であろうとガンガン。

女子供も皆殺しちゃう恐ろしい時代。

(ドラマの中でも毎週人が死んでおります・・・)

 

 

 

 

 

今回、あの源義経を演じたのが菅田くん。

そもそも義経って今までの日本ではとにかく「悲劇のヒーロー」的に扱われてきた人だったと思いますが。

このドラマの義経はすーぐに人を殺しちゃうし、

戦の天才でありつつすぐキレちゃうし、

サイコパス義経でした。

義経の概念がガラガラと崩れる描写でしたけど。

でも説得力もバリバリありました。

(とても評判が良かった菅田くんの義経)

 

義経が青春時代を過ごした場所、平泉。

そして。

義経が源平合戦ののち頼朝に追われるようになり、

義経が亡くなった場所、平泉。

 

 

平泉を拠点に東北を納めていた、

藤原秀衡を演じていたのが田中泯さん。

泯さんの品のある藤原秀衡とても素敵でした。

 

1000年前の平泉は京都に次ぐ全国2位の人口をほこる大都市だったと。

『平泉には京都をしのぐ大寺院の跡などが残っていて、当時の繁栄を伺い知ることができる』

とありましたが。

まさにああなるほど、な佇まいの場所でありました。

 

たった100年しか続かなかった奥州藤原氏。

砂金と良馬が有名でその富を築いたそうですが。

そもそも上に立つ人が頭が良くてデキル人だったんだろうな、ってのはいつの時代も感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

旅日記に戻ります。

 

平泉周辺の宿はどこもお高くて。

なのでその周辺でまず宿探ししました。

今回は「一ノ関」のビジホに泊まりました。

 

翌朝。

天気予報は午後から雨だったので急ぐことに。

一ノ関周辺からは北上していく路線バスがあったので、JRを使わずに平泉まで行けました。

(1日に数本しかありませんでしたが)

 

 

 

 

 

平泉の駅前でバスを下車し、まず目指すは毛越寺!

(駅から徒歩で10分くらい)

 

すると。

その隣に広がる広大なエリアにまずは目が行きました。

 

 

何???

ここ???

 

 

こちらも世界遺産に登録されている場所のひとつでした。

 

観自在王院跡:

奥州藤原氏二代基衡の妻が造営した寺院の遺跡。
大小二棟の阿弥陀堂跡の前面に舞鶴池を中心にした浄土庭園が広がり、境内の背後には金鶏山が位置している。

 

よく整備されている園内。

奥へいくとそこには趣バリバリの湖が。

 

 

 

 

 

人もぜんぜんいなくて。

(平日の朝イチだったからね)

いきなりの風情にテンションも上がります。

 

ひまわりとRYO NISHIKIDOww

似合う!!ww

 

 

 

 

 

 

 

 

そして世界遺産毛越寺へ。

 

毛越寺:

藤原氏二代基衡公から三代秀衡公の時代に多くの伽藍が造営されました。往時には堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれています。奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失しましたが、現在大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けています。

 

 

こちらもまぁ。

趣のある、

ありまくる、お寺とお庭でした。

 

芭蕉の直筆が掘ってあるという岩!!

あの、有名な句だそうです。

(ぜんぜん読めなかったけど・・)

「夏草や 兵どもが 夢の跡」

 

お寺の周りの山も含め。

全ての景観がセットになっていると感じられる場所でした。

 

湖の周りを散策して気がついたんですが。

 

これ、カエデよね???

ってことは秋に来たらヤバいんじゃない???

やたらあったよ、カエデが。

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてお次は。

平泉といったらここでしょう!な、

中尊寺を目指します。

 

今回私は歩く気満々で来たのでちょうど良かったのですが、

平泉を歩いてまわるのは、それなりの覚悟がいるかな(笑)

(駅前にはレンタサイクルもあるしタクシーも停まってましたよ)

キャリーごろごろで周るには無理ある街かと。

実際、毛越寺もキャリーで入るのは不可となっていました。

(駅にコインロッカーもちゃんとありました)

 

でも街自体がきちんと整備されていて。

至る所で草を刈ってる人を見かけました。

(お寺の中でも街中でも)

この街は庭園を整備する仕事についている人がたくさんいるんじゃないかな。

 

 

 

 

 

途中にあった、

「平泉文化遺産センター」

 

無料です。

平泉の歴史、

奥州藤原氏の歴史がよくわかりました!

史跡を訪ねる前に寄るとより良いかもしれません。

 

 

 

 

 

そしてこちらも途中にあった

「悠久の湯平泉温泉」

帰りに寄ろうと思いつつ、寄らずに帰りましたが。

いい感じの匂いがプンプンしていました(笑)

(引用:平泉町HP)

 

 

 

 

 

 

 

途中。

今回是非とも寄りたかった場所がありました。

 

高館義経堂:

現在の岩手県西磐井郡平泉町高館にあったとされる奥州藤原氏の居館。

源義経の最期の場所として知られる。

 

メインの道路から外れて、

線路を渡って、

坂をずずずずっと登っていく所にありました。

 

中には義経の木造が安置されていました。

 

見晴らしの良い場所で、眺望は平泉随一と言われていたと。

(芭蕉も訪れたそうで石碑もあった)

 

頼朝に追われ平泉に落ち延びた義経。

藤原秀衡の庇護のもとこの高館に居館を与えられたそう。

 

義経のために良い場所を提供してくれてたんだろうな。。。

ってわかる場所でしたわ。

 

眼下にはこんな景色が広がっていました。

(これは当時からのハズよね)

 

頼朝にそそのかされた(言い方)藤原秀衡の子、泰衡の急襲にあい、この地で自害。

義経が妻を自ら殺してしまうシーンはとても切なかった。。。。

 

まだ小さな娘も殺してしまうのよね。。。

(その見せ方もまた、胸につまされた・・・)

 

ドラマの弁慶氏もとっても良かったな。

 

ほとんど台詞のない人だったけれど。

多くを語らない感じがこれまた良くて。

義経に一生をかけて尽くした雰囲気がバリバリ出てた、

素晴らしいラストシーンでした。

 

 

 

 

 

そしてこちらも是非とも寄りたかったところ。

 

高台からテクテク降りて。

中尊寺に向かう途中に、

武蔵坊弁慶の遺骨が葬られているというお墓がありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

中尊寺に着きました。

 

なるほど!

中尊寺の周りはいわゆる観光地!って風情の場所でした。

駐車場があってお土産屋があって、という。

要するにここには車で来る人ばっかりなんだろうな。

(駅前↓は閑散としてたのよ、綺麗で新しかったけどね)

 

さっきまで全然人がいなかったのに、中尊寺界隈は人がたくさんいた。

 

まさに山ごと一体が中尊寺!という雰囲気でした。

 

広い、

そしてとにかくいろんな社がありました。

 

 

 

 

 

ここは出だしに現れた「弁慶堂」

 

中には等身大だという弁慶像が安置されていました。

186cmだったんだってね。

当時にしてみればとてもデカイ人だったんだろう。

 

そういえば岩本さんも弁慶やってたやん!!

って帰宅してから思い出した私(笑)

 

 

 

 

 

こんな道をぐんぐん登ります。

ぐんぐん。

 

 

 

 

 

本堂をはじめとして。

 

一体いくつお社があるんだろう。。。

って場所でした。

(もっともっとたくさんありました)

 

ここでも気がついたんだけど。

やっぱりモミジが境内にたくさんあった。

 

ほら。。。。。

秋に来たら凄いんじゃない??ここも。

 

 

 

 

 

そして1番奥まったところに中尊寺金色堂がありました。

こちらの中に入る場合のみ、拝観料がかかりました。

(この中に金色堂が移設されていた)

 

いやぁ。。。。。

 

頼朝がこの地を訪れてビックリしたというのもわかる。

 

めっちゃ金!

 

めっちゃ金だった。

(ひどい感想ww)

一体どんだけここが栄えていたんだろうってスグに感じられます。

(引用:金色堂について)

 

 

こちらの↑中に、

4代の、藤原清衡、基衡、秀衡、泰衡の亡きがらが安置されているんだそう。

 

 

あと、改めて思ったのが。

日本の職人って1000年前から凄くない???

でした(笑)

ひとつひとつの手作業がすごい。

それが何年も残っているのもすごい。

 

 

こちらの隣にあった「讃衡蔵」には、

中尊寺に伝わる3000点以上の国宝、重要文化財が収蔵されていまして。

こちらも必見でしたわ。

 

 

 

 

 

小雨の中の探訪となりましたが。

とても楽しかったです。

中尊寺を周り終わって駅に着いたころ、

雨がはげしくなってきたのでタイミングも良かった。

 

帰りはビール片手にw新幹線でお気楽でした。