宮城県三陸沖を巡る旅 その4 | 好きなコードはEadd9

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錦戸亮
デビュー後の兄組通りました
(今はストとトラジャを応援)
そして
7→6の関ジャニ∞の記録

前記事の続きです。

 
 
 
 
 
 
 
大川小学校の次にカーナビに入れたのは、
南三陸町防災対策庁舎。
 
ここもまた、震災の時たくさんの方が犠牲になった場所。
ここも、震災遺構として残されています。
(現在は期限付きのようですね)
 
このあたりの道を走っていると、ものすごくたくさん見かけたのがこれらの看板でした。
 
もうほんとに。
国道でどんだけ見たか。
 
 
 
 
 
南三陸町に入ると、やはり「なにもない地域」が広がっていました。
ここも街全部、なくなってました。
 
街全部。
 
防衛対策庁舎は今は工事中で近くには行けませんでした。
(これ、3階部分だけ見えてる感じ)
 
 
これは、ここから見ました。
「南三陸さんさん商店街」
 
 
 
この、さんさん商店街、とても楽しかったですよ!新鮮な魚介類もたくさん売ってますし、物凄い量のウニがのった丼が名物でした。
 
地域を盛り上げようとする力強さを感じた商店街でした。
(朝早かったのであまり人はいませんが、この後賑わってきました)
 
 
 
生牡蠣だろうが焼牡蠣だろうが身が大きくてうんまい!
 
 
 
この商店街の店舗のひとつに。
地元の写真屋さんが入っていて。
震災の状況を教えてくれる写真展示館になってました。
 
屋上の床上約2mの高さまで津波にのまれた。
助かった職員はアンテナにつかまることができた人と手すりで必死に耐えられた人たちだけだった。
この地域の方々は、
「地震の後には津波」
という意識が高かった地域で、防衛対策庁舎では繰り返し
「高台へ非難してください」
と防災無線で呼びかけていた。。。
というのは当時のニュース等でもたくさん報道されていましたよね。
防災無線で避難を呼びかけていた女性職員の方も亡くなったと。
 
まさか、その3階建て庁舎屋上を2mも上回る津波が襲ってくるとは。。。
油断して逃げ後れたと、その後助かった職員の方が語っていたそうです。
 
この時助かった人々は、アンテナに登っていた方が持っていたライターで火を起こし、暖をとって一夜を明かしたそうで。
その火がなければ全員凍死していただろう、
という事でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
この日は気仙沼に宿をとっていたので。
気仙沼を訪ねるのは後にして、陸前高田市へ向かうことに。
(今回回った場所)
あ、この記事「宮城県三陸沖を巡る旅」としていますが。
陸前高田市は岩手県ですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
陸前高田の街に入ると。
更に広大な「なにもない地域」が。
街がなくなってしまった街が。
 
「奇跡の一本松」を訪ねる人は、付近にある「一本松茶屋」に車を停めて、そこから歩けます。歩いて15分くらいかな。
奥にあるユースホステルが堤防になって、この松が残ったとも言われているそうです。
 
 
 
震災後、この木を保護する活動が続けられたものの、根が腐り枯死と判断された。
その後、震災からの復興を象徴するモニュメントとして残すことになり、幹を防腐処理し心棒を入れて補強したり枝葉を複製したものに付け替えたりするなどの保存作業を経て、元の場所に再び立てられている。
この作業には多額の費用が投じられたこともあって、保存の是非を巡っては賛否両論が巻き起こった。
 
これ、ウィキから転載させていただいたのですが。
とにかく震災遺構を巡ってはどの地域も保存の是非を巡って色々な選択肢をとっているようですね。
後世のため保存した方が良い、という住民感情があっても資金面でなかなか維持をしていくのは難しかったり。
 
 
 
 
 
この「一本松茶屋」でも地域の方が語り部として当時の事を残す活動をされていました。
この地域は避難所生活を5月くらいまでしていた方もたくさんいらしたそうです。
 
この語り部の方は、
私達と同じような悲しみを持たないためにも、
まず、家族や自分が災害の時どこへ避難するのか確認する、
その避難する場所には毛布、水等の備蓄がどのくらいあるのか知っておく、
それをおっしゃっていました。
 
 
 
 
 
その後。
東日本大震災追悼施設へ行く事に。
ここは街の中心部、真新しいショッピングモールのすぐ近くに設立されていました。
(街の中心部といっても、街全部がなくなってしまって、中心部は本当に奥の奥の方へ移っていた印象です。ここも、海岸近くは復興祈念公園になる予定のようですね)
 
この裏手(というか写真を撮ってる私の後方)にプレハブの資料館あり。
この場所は低く見えますが。
広大な範囲で12m、かさ上げされています。
街の途中から街全部12m高くなっている、というイメージ。
ここから見ると、
元々の高さの場所はこんな風に見えて。
奥に一直線で見えてる新しい堤防があります。
堤防の高さは12.5mだそうです。
 
真ん中に見える建物はこちらの持ち主が震災遺構として個人的に残されているそう。
で、このビルの一番上まで津波が来たそうです。
 
つまり、嵩上げしている12mよりも高い所まで津波が来た事実があり、
堤防を越える高さの津波が来た事実もある。
 
だから、とにかく地震の後は津波に備えて避難する、堤防はあくまで時間を稼ぐものである、
嵩上げしたからといって、新しい堤防が出来たからといって安心してはいけない、
そういう事なんだそう。
 
 
 
元々の陸前高田の街。
この手前に見える半島は、2キロに渡る長い砂浜で。
海水浴場としてとても賑わっていた場所だったそうです。
 
震災後。
 
 
 
 
 
 
 
続きます。
(のつもりでしたが、続けてなくてすみません)