紡ぐ~羽小箱~ -22ページ目

紡ぐ~羽小箱~

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羽生結弦選手を応援しています。
彼からいただくギフトを小箱に詰めてます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


能登の復活を願ったチャリティー演技会で披露された「春よ、来い」は、祈りの舞。


何度も披露され見慣れた春ちゃんが、いつもと違うと感じたのは、照明が無かったからだけではないでしょう。


そこに真心が形となっておりました。



しかし、その翌週、その地が豪雨災害に見舞われるなんて。

誰が予想ができたでしょうか。



非常に厳しい出来事を伝える報道に、心を痛めましたね。


「前を向こう」と思っていた矢先の出来事に、現地の方は、気落ちしたなんてもんじゃなかったと容易に想像できましたから。


 

 

「every.」の放送内で、その後の様子も伝えてくれ、朝市に訪れたお客さんの「これが運命やから。与えられた運命生きていかないと」という現状を受け入れた言葉が胸に刺さりました。



また、リモートでのゆづと朝市の皆さんとやり取りがあったことを伝えてくれました。



ゆづの様子から、移動中の車内なのでは?と推測され、ショーの準備などで忙しくなってきた中、見出した時間での対面だったのかなと思えました。



「朝市があるから頑張れる」という朝市の御三方に、「頑張ってくださいね」という励ましではなく、「絶対に元気でいてくださいね。皆さんね」という声掛けが優しいなぁと。



放送から、生きていくうえで頑張るものがあることの大切さを教えていただくとともと、ゆづの「伝えたい」「届けたい」という想いをしかと受け取りました。


 

 

 






今朝のラジオで、インドの北部 ラダック(だったはず)を訪れた日本人の方のお話を聞きました。



現地の方は仏教に大変信心深く、日常に祈りが溶け込んでおり、熱心にお祈りする姿を見て、その方は「どんな大変なことをお願いしているのだろう」と思い、「何を祈っているのですか?」とお聞きしたそうです。



するとその答えは、「生きとし生きるものの幸せを祈っています」と。



日本人のお祈りの対象は、自分の願い事や、身内、大切な人へと「人」に対して神様にお願いすることが多いですよね。



しかし、インドの方は「なぜ、人だけの幸せを祈るのですか?太陽の光をもらって生きている人間も自然の一部。どうして生きるものの幸せを祈らないのですか?」と。


「世界が幸せになれば、あなたも幸せになれる」と言われ、祈りの対象の違いに非常に驚いたそうです。





その話を聞いて忘己利他の教えなのかなと思いました。


確かに世界が幸せになれば自分も幸せになれるでしょうが、未熟な私は、まだその域まで達していません。










 


辛い状況が徐々に改善していき、安心して暮らせる日常に一日も早くなりますように。


笑顔になれる出来事が増えますように。


お元気で過ごせますように。





能登の復活をお祈りします。