2018年 2月25日
ゆづにとって2度目となるオリンピックが
最高の結果となって
無事に閉幕しました
羽生結弦「一番幸せな瞬間をいただいた」
平昌五輪最終日の25日、日本オリンピック委員会(JOC)が選手のコメントを発表した。
フィギュアスケート男子で連覇を達成した羽生結弦(ANA)
「今までの人生の中で、一番幸せな瞬間をいただきました。ただ前を向き、頂点だけを見て過ごしてきた日々が全て報われたと思います。アスリートの一人として、この金メダルに誇りを感じています」
【高木記者が見た平昌五輪】勇気をくれた羽生の連覇 重圧は弱さじゃなく強さになる
シアワセの副産物となる
撮りだめてた録画と
買い込んでしまった
新聞の整理をしています
新聞保存用に
大きめのファイルを購入しました
綴じ込みしたら
広げて読むことは
あまりないでしょうね←どうするんだろうね
そんな新聞や録画を観ながら
多くのメディアで残してた
心に残ったゆづのコメントを
少しだけ & 順不動ですが記録します
新聞はコレかな
羽生、涙の五輪連覇 “氷に乗ることの不安”乗り越えた魂の4分半
この瞬間だけを信じていた。広がっていたのは、4年間待ち望んでいた光景。太鼓の音色に導かれるように両手を広げて演技を終えると、羽生は天高く人さし指を突き上げた。「勝った」−。心の底で確信した。「何より自分に勝てた」。声にならない感情が、叫びとなってリンクにこだまする。鎮痛剤を打ち、テープを入念に巻いた右足首を両手でさすり、右膝をついて氷を3回コンコンコンとたたいた。金メダルが確定すると「色んな思いがこみ上げてきた」。涙があふれて止まらなかった。
羽生結弦の魂が宿った4分半だった。冒頭の4回転サルコーに始まり、繰り出される技の全てが、俺が王者だと物語っていた。昨年11月に痛めた右足首の影響は、最後まで引きずった。曲を通す練習もままならなかったが「勝ちたい」。その執念だけで耐え、「SEIMEI」に思いをぶつけた。
「最初に診断してもらったじん帯損傷だけでなく、本当に色んなところを痛めていて、氷に上がれない日が長かった。体力よりも氷に乗ることへの不安が大きかった」。無理を押しての出場だった。
今回のケガはもちろん、苦難と隣り合わせの4年間を過ごしてきた。14年中国杯の衝突事故では下あごを7針縫ったのをはじめ計5カ所を負傷。同年末には腹部を手術した。捻挫は何度も繰り返し、風邪はしょっちゅう。一昨年の全日本選手権はインフルエンザで欠場を余儀なくされた。「ケガばっかりですね。でもそれだけ勇気を持ってチャレンジしてきたから」。困難に直面しても、羽生が折れることはなかった。
それは羽生の根源に常に一つの記憶があるから。2011年3月11日、故郷仙台を襲った大きな揺れ。自宅は全壊し、4日間避難所で過ごした。リンクは休業。全国をアイスショーで回ったが、その間もスケートを続けることと葛藤した。あの苦しさを知るからこそ、羽生の心は尋常でないほど強く、美しい。
それは羽生の根源に常に一つの記憶があるから。2011年3月11日、故郷仙台を襲った大きな揺れ。自宅は全壊し、4日間避難所で過ごした。リンクは休業。全国をアイスショーで回ったが、その間もスケートを続けることと葛藤した。あの苦しさを知るからこそ、羽生の心は尋常でないほど強く、美しい。
「あれ以上悲しいことはないと思っているんですよ、いまだに。あれ以上苦しいことも悲しいことも不便なこともない。だからつらいとき、苦しいときでも乗り越えられるきっかけ。あれがあったから今がある」。4年前、金メダルとともに凱旋したときに向けられた笑顔は今も忘れない。「今度はちょっと自信を持って、また笑顔になってもらえたらいいな」とはにかんだ。
「とにかく劇的に勝ちたい」と豪語していた羽生が紡いだ、奇跡であり必然の復活劇。あまりにも劇的なエピローグに「人間としての人生を考えたらなんか変」と自ら笑ったが「漫画の主人公にしてはちょっとできすぎなぐらい(困難な)設定が色々とあって、でもこうやって金メダルをとって…。こんなに幸せなことはない」と胸を張った。まばゆく光る金メダルが誰よりもよく似合う。羽生結弦は間違いなく、伝説として語り継がれる氷上のヒーローだ。
「とにかく劇的に勝ちたい」と豪語していた羽生が紡いだ、奇跡であり必然の復活劇。あまりにも劇的なエピローグに「人間としての人生を考えたらなんか変」と自ら笑ったが「漫画の主人公にしてはちょっとできすぎなぐらい(困難な)設定が色々とあって、でもこうやって金メダルをとって…。こんなに幸せなことはない」と胸を張った。まばゆく光る金メダルが誰よりもよく似合う。羽生結弦は間違いなく、伝説として語り継がれる氷上のヒーローだ。
過去、最高傑作となった
ふたつのプログラムによって
わずかな練習時間でも
体に馴染んでいたからこそ
オリンピックでの舞台で
身体、心、魂を使いながら
披露されたそれらは
まるで、魔法をかけたような時間でした
4年に一度の戦いに全てを懸けてきた
五輪史上に残る傑作として
記録にも記憶にも残る
あまりにも素晴らしくドラマティックな展開
そして会見で述べたこととの深刻さと
今は幸せで
やり切ったと言い切るゆづ
「オリンピックの舞台で滑れたことが幸せに思います。」
喜ばしい快挙なのに
しばらくは気持ちの整理が
できないくらいの動揺に
自分でもビックリ
怪我から「空白の94日間」について
もともと何もコメント出せるような状況でもなかったですし、何もできていなかったので。とにかく治療とリハビリ。そして、何よりもスケートができない期間がすごく長くなるっていうのは感じていたので。
今までも、怪我が多くてですね(同じ状況が)あるんですよ。
だからこそ、その経験をいろいろ生かして、その間にいろいろ勉強して、この経験とこの論文とか、こういう知識が合うかなっていうのをいろいろ試行錯誤をしながらやってきました。
やめようかなというメンタルにはならなかったけれども、やめざるを得ないのかなっていう状況には置かれていました。やっぱり、自分自身も治療をたくさんしていただいていましたし、ケアも最前線のものをやってはいたとは思うんですけれども…。一向に良くなる気配がないっていうのが、やっぱ、一番つらくて。やっぱり、スケート滑ってみる段階にも行けなくて。まぁ、陸上で走れもしなかったので。その段階が一番なんか、精神的に追い込まれたなとは思います。ただ、自分から無理だなっていう感じはなかったです。
3ヶ月間のスケジュールはあったと思うが、どれくらい順調に進んでいたのか?
正直言えば、スケジュール通りにいってないです。やっぱり、一番最初に目指していたのは、まず、国内の全日本選手権が12月にあって、それに復帰したいっていうのは一番だったんですけど。まず、ここまでスケートができない。その段階で計画は破綻し、じゃ!もうこれは、もう…できれば…団体戦かなって思っていて。お声がけもいただいていたので、考えてもいたんですけれども…そこ…までも、できないなっと。もう12月の中では、決まってました。
そこからイケる!っていうまでになるのは
イケる!ってまでは、ならなかったですね。ただ、痛み止めを飲み始めて、もう自分の中である意味、もう治らないって…。もう、ケアしていただいている先生には本当に申し訳ないんですけど、もうこれ以上治んないっていうのを、ある意味スパッと決めた瞬間からは、もう練習にちゃんと集中できました。
カッコイイなって思うというか、これ以上、ないでしょうって思えてます。だって、いろんな逆境があって、また66年ぶりとか、その66年前にやって連覇をした方も、すごく応援していただいてましたし、何よりもこうやってスポーツって、こうやって観るものじゃないと思うんですよ。フィギュアスケートって、本当に特別だし。その中でも特別な扱いをしていただいていると思うので。やっぱ、これ以上ない勝ち方をして。これ以上ないものをいただいたと思っているので。
でも、その意地って自分一人じゃ出せなかったものだと思いますし、よくいつも自分で思うのは演技を見てくださっている方々は、演技に対して感じることって、やっぱり、みなさんの過去の背景があったりとか、今だったりとか、そういうのがあると思うんですけど。ある意味で自分の背景が、なんとか勝たせてくれたっていうのがあったんで、やっぱり、うん。今回オリンピック出られてよかったなって思いました。

勝ったー!ホントありがとう。
勝ちたいという気持ちもすごくありましたし、19歳の時に、オリンピックを経験した時と違って、自分の時間が限られているっていうのをちょっと感じていて、やっぱり、そういうことも含めて今回、勝たねばっていうのは思っていました。
だからこそ、勝った!って。自分自身に勝ち切れた!って思ったのと、後はもう右足。最後の最後までなんとか耐えてくれたので。やっぱりそういうことを含めて感謝ですね。

リンクをトントンとしたポーズについて
ソチオリンピックの時も、最後、ああいうポーズだったんで、お礼したいなぁ、リンクにお礼したいなと思ってやっていました。
涙はどんな思いだったんですか。
生きていてよかったと思いました。
本当にここに至るまでに…、うん。思い返すと涙が出ちゃうので、思い返さないんですけど。ホント、しんどかったなっていうことが、たくさんあったし、いろんなものを捨ててきました。本当に。いろんなものを捨てて、この金メダルのためだけに生きようって、思っていたんで。本当、こうやって生きていてよかったなって本当に思うし。ねぇ、言ってみればここで応援してくださっている方々も今、生きている訳だし、なんかそういうのって、のホント素晴らしいなって思いました。

みんな心配だったと思いますし、多分、自分も思っているより心配だったんだと思います。でも、こうやっていろんな大変だったかもしれないですけれども、最終的にこうやって結果がとれるっていう、結果が取れたっていうことがすべてだと思っているので。本当によかったと思っています。
4年前は魔物にやられたなぁって思ったんですけど、今回は魔物に助けてもらいました(笑)
心配だったのは、もうホント怪我のことだけです。怪我に対してもですけれども、やってこられることは全部やったとは思ってはいるんですけれども、途中で完治というものを、治すのをあきらめてしまったので。ある意味ではそこの、この試合、最後まで持つのか、持たないのかっていう不安はありました。
オリンピック=金メダルだと思っているんで。金メダル以外は敗北だと。自分に言い聞かせて常にやってきました。
連覇の次の目標は?
4年間後に向けて
四文字で書くとすると健康大事!(笑)
この4年間ホント!いろいろあったんで。病気、怪我、そして手術。本当にいろんなことがあったからこそ健康って本当に大事だなって思います。これはスポーツだけじゃなくて、生活している方々もみんなそうだと思うんですけど、なるべく健康でいたいですね(笑)
君が代を噛みしめているように見えました。
そうですね。やっぱり、首にかかっている重みがあると、実感もまた違って、本当に頑張ってきて本当に良かったなというふうに思えてきています。
表彰台から眺める景色、どんなことを感じていましたか。
とにかく、やっぱり、自分自身で揚げた、真ん中に揚げた国旗っていうのは、やっぱり、これで2回目ですけれども、やっぱり感慨深いものがすごくありました。
可能なら、ここ2ヶ月、3ヶ月の葛藤を少しでも教えてもらえますか。
スケートが滑れるか、滑れないじゃなくて、これから滑れるのか、滑れないのか、本当にスケートをやめなきゃいけないのかくらい考えていたので、非常に苦しい時期ではありました。ただ、やっぱり、こうやって…。うん。やっぱり、こうやって生きてきてよかったなって思える瞬間のひとつです。
応援は励みになりますか?
もちろん、そういうのはずっとヒシヒシと感じていました。やっぱり、自分がプレッシャーを感じられるっていうのは、それは期待の証。そして、応援の声だと思っているんで。やっぱり、プレッシャーを感じている間は、本当にこんなにも応援していただけるんだなっていうのを、すごく感じながら…。
それが重かったりというか、押し潰されてしまうのはないのか?
そうやってなんか、架空のものだけど、押し潰されるくらいの物理的なものを感じるじゃないですか。それを考えようにすれば、後ろから押していただけるものにもなるので。それはすごく特別に、こうやって、いろいろ応援していただいているからこそ、感じられる部分なのかなというふうに思っています。
いや、何も変わんないです。やっぱり、とにかくオリンピックっていうのは、普段フィギュアを見ない方々も含めて、たくさん応援してくださる舞台だと思うので、そこで結果を残せて本当に嬉しく思っています。
今までの人生の中で、一番幸せな瞬間をいただきました。ただ前を向き、頂点だけを見て過ごしてきた日々が全て報われたと思います。
一番感謝を伝えた人
やっぱり家族ですかね。あんまり人前でこういうこと言うのは恥ずかしいし、あんまり言わないでっても、言われてはいるんですけども。ただ、やっぱり一番、言いたいのは家族ですね。
コーチは変わったりもするじゃないですか。もちろん試合だったら、会場も変わったりもします。ただ、やっぱりそこについて来ているのは、ずっと家族なので。ずっと見てくださってありがとうっていうのはすごい思っています。
動画 (中居くんインタ)
その他、画像は感謝してお借りしました
【重圧との戦い】羽生結弦 五輪金メダル後の想い (松岡修造インタビューより)
ソレとこの動画も観てて ←早く、片付けようね
おんなじこと言ってるなって
こういうゆづが好きよw
ソレとね
素晴らしい結果を残すことができて
とても嬉しかった!!
とても嬉しかった!!
このシーンはいいなぁと思いました
ソレとアスリート向きの心ねw
数々の名言を聞けて面白かった
宇野昌磨、インタビューで「このあと表彰式あるんですか?」愛あるつっこみ相次ぐ
直ってたw
とか、いろいろな副産物も
ありましたw
さてさて、ようやく副産物が
少し.片付いたかと思ったら
凱旋帰国のお知らせ!!
お疲れも見せずに
大歓迎!
お帰りなさい!!
怪我、早く治れー
また、
しばらくは
忙しけれども
シアワセな時間を
過ごせそうです






































