こんにちは。代表の尾木です。
スタッフの中で私がブログを書く回数が増えてきたなと思っています。
なんだか嫌な感じです。あらかじめこんなの書いたらアクセスふえるかな?と
思っていたタイトルがまだ9本ほどあるので、それを書いたらしばらく断筆しますね。
もちろん、その後も他のスタッフが頑張って投稿してくれるものと信じています
13年ほど前、発達障がいの支援を始めたときに早期療育の大切さが
言われており、学校の現場の先生は低学年から声をかけ、
通級指導教室での指導が滋賀県でも盛んにされました。
13年たって感じるのは、早期療育をするからといって、無茶苦茶うまく行くケースが多いとか
そのようには思わなくて、というか
むしろ支援がなかった場合のその子の自尊感情を予測することは専門家でも難しく、
学習の成果や、発達の度合いについても、それは同じかもしれません。
それが人生が一度きりであるということだと思うのです。しかし、支援の中で、人生の選択の多様性を感じる場面や、
「ある程度、失敗が許されていると感じること」が、こうしなければいけないという強迫を弱めているとは感じます。
もちろん小さいころから、支援を受けてこなかった方の中では、高校生以降に、支援を受けるようになったかたでも
ポジティブに生きている人は多いと思うのですが、一部やはり、成果を出し続けなければいけないということ自罰の多い、
深刻なケースに当たる場合もあり、このようなことは、小さいころから支援を受けている人の中では少ないのでは
と感じていしまいます。
これは、健常の人の中でも、同じようにしんどくなるケースがあり、鬱になることも現在では広く知られています。
それは、職場環境や友人関係が原因なのですが、発達障害の方はその環境や友人関係の過酷度合いが軽度
でも、同じような2次障害になるということは経験から明らかなのです。
例えば、学校教員の世界で10人に3人が10年以内に鬱になって、一時、休職するようなストレスの高い仕事があったとすると
そこに環境調節せずに発達障害の方が勤務すれば10人に8人は休職し、また復帰も長引くということでしょうか。
このような職場がなくなることが望ましいのですが、また、こういった気合で乗り越えるような社会的障壁について
人によって感じる高さが掛け算式に違うことについても理解が必要です。