昨日ドームへ行く前に、上野の東博へ

目的は飛鳥時代の壁画を観ること…
もう十何年も前でしょうか、明日香村の高松塚古墳の損傷が話題になったことや、キトラ古墳の保存方法が論議になってましたよね
キトラ古墳の方は明日香村に保存館的な建物が建てられ、移設保存、公開されるそうです
つまり明日香村を出るのは今回が最初で最後…
冬に、トーハクに来る!と知ってからとっても楽しみにしていたのです
初日から小一時間待ちだとか、入室してもブツを観るのに更に待つとか、そんなん聞いたって怯みませんよ!
看板後方、小さいですが、本館前に並ぶ人々…私も最後尾につきました
一坪以上あるツツジが見事でした
青楓も薫風にそよぎ、白壁に影を揺らしてましたので、待つ間に一句捻り出そうとノートを出す・・・
・・・出しただけ

結局50分しっかり待って本館特別5室へ…
私にしては珍しく音声案内(300円)を借りました
「今を遡ること1300年前、国のまほろばと謳われた大和飛鳥の地に、丸い小さな古墳、つまりお墓が作られました」
二段式で小さな丘陵に掘る形、直径約14M高さ3Mという大きさです
まず最初に飛鳥の航空写真や古墳の所在地の地図があり、その先に四つの壁画の複製陶板の展示でした
キトラ古墳の石室壁画は、おそらく棺の真上にあった天文図と、東西南北の壁にそれぞれ四神 (青龍・朱雀・白虎・玄武) が1体と十二支の中から3体づつ描いてあります
この四神と十二支、そして天文図に描かれている日月は、古代の東アジアの宇宙観である「陰陽五行思想」に基づいて描かれたと考えられるそうです
「五行思想では、万物は五つの元素 (木・火・土・金・水) からなると考えられ、それぞれに色 (青・赤・黄・白・黒) や、方位 (東・南・中・西・北) が割り当てられています。
聖なる四神もその思想に基づいています (略)」~会場説明より~
東壁の《青龍》・・保存状態を考慮すると長時間の移動は困難ということで、複製陶版板のみの展示でした
春を司るという青龍の大部分は判別不能です
わずかに残る図像は、大きく口を開け長い舌を出している図は、高松塚古墳の青龍と似ているとのこと…
下に描かれた虎の図、姿は青い服を着た人間でした
方位に対応した服の色は中国でも例を見ないそうです
南壁の《朱雀》・・南方守護、赤、夏、という朱雀 の図像は、石室を塞ぐ南の壁に描かれているということから、他とは違い明るい屋外で描かれたと考えられるとか
伸びやかな線と明るい色はそんなことも関係しているのかもしれません
西壁《白虎》・・縦横せいぜい1Mの窮屈な石室の中で描かれたとは思えないほど、細かい描写でした
国内外の他の白虎の殆どは顔が左(南)を向いているのに、キトラの白虎は右(北)を向いていることがとても珍しいそうです
あと、後脚と絡まって尾が真上に上がる描き方は7世紀後半から8世紀半ばの唐の流行を取り入れたらしい…そんな記録も有るんですねー
北壁《玄武》・・これは亀と蛇が絡み合ってます
高松塚古墳の玄武は削られているので、貴重だそうです

天文図《日月(星)》・・内軌、赤軌、外軌を表す3つの円と黄道、金箔片およそ350で示した星々、それを赤い線で結んだ62の星座が描されてます
さて、表現方法ですが、壁画は乾いた漆喰の上に描かれてます
下絵を置き、尖ったもので筋をつけたうえで顔料を使っての彩色と考えられています
青龍の下からは水銀が採取されたので水銀朱という顔料や、泥に覆われた胴体部分には銅が確認されたことから、緑青や群青を用いて緑などの顔料で描いたと見られているそうです
このようなことを実物を観る前に学習しましたが、まだまだお楽しみは先です
キトラ古墳から出土した副葬品の数々の展示や壁画を剥がすために特別に製作したダイヤモンドワイヤー・ソーという道具の展示が有りました
更には「キトラ古墳の保護ー30年のあゆみー」というスライドショーを見て、漸く壁画観覧の列に並びます
15分ほどで順番が来ましたが、ジックリゆっくり観るわけにはいかないのです
流れるように観ないとね、何たって大混雑・・・
トーハク中の学芸員さんに特別出勤してもらってる感じで、おまけにあった高松塚古墳の模写もスイスイ拝見しまして出口
アッサリ
で、もう一回入場しましてん (笑)
一旦出れば、すぐに入っても良いシステムでした
南壁《朱雀》、赤色が鮮やかです
1300年前なんですよね、う~~ん…
誰がかいたのか…ということに、この朱雀の図像がヒントになってるそうです
同時代の奈良の薬師寺の本尊、薬師如来の台座に描かれている朱雀が良く似ていることから、キトラ古墳の図像も同じ画家の集団によるものではないか、と…
それは朝鮮出身の画家達で、当時聖徳太子の供養や薬師寺の造営といった国家プロジェクトに関わっていたとみられるそうです
最後に、キトラ古墳の「キトラ」という名前について…
調査開始にあたり、鎌倉時代に開けられたとみられる盗掘孔からファイバースコープを差し入れると、北の玄武と西の白虎がまず確認出来ました
はるか昔、土地の人たちが同じように南方から覗き、亀と虎が見えたと考えられます
いつか口伝えで、亀と虎、キとトラ…となり、そこをキトラと呼ぶようになったのではないでしょうか
・・・らしいです (笑)
説明だらけの文章というのに、最後まで読んでいただきありがとうございました



