Aloha~
フラとハワイのDEEPなお話し@虹色に包まれて
古代出雲&HULA技術探求家
ナルです
前記事↓
ナルのMoeらしき経験について書いてます。
今回は↑こちらにちなんで
古代の暮らしについて
ナルの考えを書いてみたいと思います。
何といっても、
日本とハワイに共通なことは
島国
ということですよね。
これが、
日本人もハワイ人も海洋民族
と言われる所以です。
そして、
海洋民族ということはすなわち
古代の移動手段は舟だった
ということ。
以前にも書いたと思いますが、
道をつくることは大変なことです。
ですが、
海を使って移動するのに
海の道を作る必要はありません。
もちろん、
舟がなければいけないのですが、
船の歴史は
地球上に人類が誕生したときから始まったのですから
そして、
海流に乗って楽に移動できたらしいです
ファインディングニモをご存じだと思いますが、
ニモたち亀が
海流に乗って移動する場面ありますよね。
あんな感じで
私たちが考える以上に
広範囲に舟で移動したんですね
日本海には対馬海流が流れています。
暖流である対馬海流に乗り
古代出雲から舟で
越の国(福井県敦賀市から山形県庄内地方の一部に相当する地域)
に行けたんだそうです。
出雲国風土記においても
大国主命は越の国に行っています。
その名残として、
出雲に「越」とつく地名があったり
越には「出雲」とつく地名や神社名が多数あります。
人々が移動していたんですね。
そして、
移動した先に自分たちの故郷の名前をつけた。
「出雲」という地名や神社名は
日本全国津々浦々にあるのですが、
このお話しはまた後ほど、、、
日本からハワイへ移民した人々も
神社や寺をつくって心のよりどころにしたんですもんね
そして、さらに、
海から川を遡り内陸に入っていく。
現代人の感覚で
陸路をイメージしてもつながらないことが、
水路だとつながっていくんですね。
ムラとムラの間には
いくつもの山や谷があって
道もなかったわけですから、
交流するのも大変だったでしょう。
さらに水路においてつながりがなければ
隣と言えども知らない同志だった
ということになりますね。
私たち日本人も渡来人でしょうから、
隣のムラの人々は
言葉も違っていたかもしれません。
そうそう、
出雲国と西隣の石見国には
全く交流がなかったそうです。
両国は
現在島根県として合併していますが、
間には三瓶(さんべ)山(古代名:佐比売(さひめ)山)
が鎮座していますから、
陸路を使っての交流は難しかったでしょう。
そして、
人の気質が違うことでよく知られています
参考文献:
梅原猛著「葬られた王朝 古代出雲の謎を解く」新潮社
藤岡大拙著「出雲人―出雲学へのいざない」ハーベスト出版
岡本雅亨著「越境する出雲学ー浮かび上がるもうひとつの日本」筑摩選書233
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悩める虹の母 なる でした〜
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