久しぶりの投稿となる。
体調不良や物事の進まなさなど自身に向き合う時間を経て、自身にとって節目となる出来事にようやく解決が訪れた。
今年の春頃所謂トラブルがありその解決まで半年掛かったのだが、その間に自身の心に問い掛けられたのは生きることの意味であった。
上手く楽しく生きていると実感していれば、そんなことを考えても中々腑に落ちないのだが、やはり危機的状況時に考えることは通常時には得られない思考や直観が働く。
12月に44歳の誕生日を迎えた自身だが、改めて人生には繰り返しの苦しみとその意味があることを深く感じさせられた。
人は歳を重ねる程傲慢になり、壁にぶつかり己を知り謙虚になる、そしてまた調子が出てくれば自分を驕りまた痛い目に合う、その繰り返しがある。
ヨーガでは『サンスカーラ』と云われるこの潜在印象の表面化は、カルマヨーガ的な考えの根幹にもある因果の法則とその仕組みを人生そのものの中に体現される。
相反してユング心理学では『シンクロニシティ』として一見無関係と見える物事の一致を提唱しており、人間の理解を越える作用がこの世に偏満しているようである。
兎に角前世や血の繋がり、暮らす土地の歴史や住まいの周囲の人々、ありとあらゆる物事が己の人生を決定していく。
天は何故この出来事を自身に与えたのか、その本質を知るまでは繰り返しの苦しみからは逃れられないだろう。
壁を登れば解決だと思っていても、それが本当の解決でなければ更に高い壁が現れる。
その壁を作っているものは何か。
その壁は、自身には壁に見えているが、その本質は何か。
一切は空であり、無である。
其処に行き着く頃には世界がどのように観えるのか、今から楽しみにしている。