此の人生の目的、自身の魂の活動に意識を集中していく。
お金は必要である、そして目的は其処には無い。
しかし、資本主義という言葉や清貧思想に氣を奪われるが、現実目的にお金は必要となってくる。
「お金に対して意識のブロックがある」という言葉は良く聞くが、自身もお金に縁が無いというような暮らしをしてきた。
顕在意識の中にも常にお金を持つ事への嫌悪感があったが、幼少期から母親に対する想いが其れを造った様だ。
自身が幼い頃に父親が事業関係で騙され多額の借金をし、元々戦後配給の借家でボロ生活をしていた我が家は更に困窮状態となった。
毎日掛かってくる借金取りの電話にノイローゼ氣味の母親は、夜な夜な酒を煽り父親に罵声を浴びせる様になった(正しくは此れ以前の母の記憶は殆ど無い)。
父親が立ち上げた工場を叔父に社長を譲り、毎日残業で母と私を含む三兄弟を食わせていくのは何れだけ大変な思いをしたか。
処が母はそんな父に寄り添う処か罵声はエスカレートし、夕食時には「そんな事より金持って来い」というのがお決まりになっていった。
子ども心に自身は辛い感情を麻痺させ、「金など無くても幸せになれる」という感情を母親にぶつける日々が続いた。
三男である自身が家を出る頃には母は落ち着いていたが、子育ての苦労で母も大変な思いをしたのだと今は思うが、自身にはお金を稼ぎたい欲は失われ、高校中退しフラフラ日々を過ごし、人生に夢も希望も無く唯々楽観的ではあった。
人生も目的を果たそうとする時、現実的にはお金が必要であり、資本が有ればやれる事も増えていく。
つまり現実と向き合う事、自分自身の達成したい願望、欲求を受け入れ其れを叶える為に頭を使い行動を起こす事を、当時から自身はそもそもの選択から外していたという事だ。
氣が付けば逃げ癖が付き、お金と向き合わず其れが肥大化し、此の歳迄生きてきたが、人生もう遅いという事は何一つ無いと自身は感じている。
何故なら此れ等の出来事は全て必然であり、スピリチュアル的な思考放棄ではなく氣付くタイミングや向き合おうとした事も何度もあった上で此の様な現実が起きたのは、自身の成長過程で改めてお金を稼ぐ事と向き合うタイミングが来たという事に過ぎないからだ。
心身共に準備が整い、此の課題と改めて向き合う。
別の課題も山程ある筈だが、今は此のタイミングなのだ。
新たな選択をしていく。