自身が生きている中で最も喜び、純粋な快を得られるものは『発見』『気付き』『学び』である。




これらは何か外的要因から得たものではなく経験によって内側から生まれてくるもので、主に瞑想の最中に訪れる。





勿論快と言えば他に無数にあり、食や性的なことから睡眠、働くことや休息、他者との触れ合いややりたかった事をやれた時、筋トレやヨガ、資格を取るなどなど正に生きている事が快そのものと言えなくもない。




冒頭で言う『純粋な』気付きとは、それ以外の要因が無いとき、例えば筋トレしている時の快はその時のストレス発散や目標達成、後の身体への良い影響への期待など様々な心理的要因がある。




純粋なとは心の奥の奥底で求めていた答えや新しい発見唯それだけが、沸き上がるように或いは降ってくるように感じられることだ。




このような発見はコントロールして得ることは中々難しく、これを期待して瞑想することも望ましくない。




そもそも瞑想の本質がこの『気付き』にあるというのは知識としては知っていたが、体験に勝る快は無い。




邪心が減れば快は増えていく。