私は近頃「この世は天によって完璧に決められていて

それによって完全に自由だ」

という、所謂「決定論」的な考えが少しづつ腑に落ちるようになってきた。




スラムダンクの著者が宮本武蔵を題材に書いた漫画「バガボンド」に出てくる台詞でもあるが、つまりこの世は決まっているということと自由意志があるという相反するものが一体となっているのがこの世の摂理という。




ブッダの言葉などを読んでいても真理は言葉では現せない、という文言が良く出てくるが、これは老師やソクラテスなどの覚者と呼ばれる人達の言葉と共通する。





我々人間は相対的二元論といった物事を二つに分け相対比較して判断をしているため、例えば「寒い」は昨日より寒い、8月より寒い、都会より寒いなど、何か別の軸と比較しないと成立しない。




真理を語るにも「完璧に決まっているともいえる

すべて自分の自由であるとも言える

どちらでもあるが、どちらでもない」

というような表現がもっと近しいかも知れなく、言葉とは物事の一面しか表すことが出来ないということでもある。




ヨーガでも心の動きを制御し思考を観察する瞑想があるが、思考では理解が追い付かないものによってこの世は成り立っていると覚者は云う。




自身の経験としては情報を沢山取り判断精査していく中で、自分自身が出す答えを成長させていく必要があり、一つの物事を様々な角度から観られるようになることが、真理へ近付くことだと考える。





学ぶ時間、考える時間、吐き出す時間が必要だ。