自身が経験してきたことはこの世の事実として存在しているが、実際に起こったことを正確にそのまま話せるかと言えばそれは困難である。





何故なら人の記憶というのは曖昧で、且つ主観でものを見ているので自分はこのように捉えている、ということしか思い出せない。





つまり、一つの出来事を100人が経験していたとすれば100通りの出来事があると言えるのだが、そのバラバラの主観からデータを取って「このような出来事であった」と結論付けることが社会でのコミュニケーションで必要となる。





過ぎた出来事にああだこうだと言うのはナンセンスではあるが、その過去から見出だす大切なことも勿論ある。





自分自身が経験したことが絶対ではない。






ヨーガではその経験を創り出しているのが個我、不変の魂であり自分の本当の根源がこの宇宙に遍在するエネルギー(ブラフマン)であるという。





その個我が見ている、捉えている世界は妄想・幻影(マーヤー)と呼ばれ、それは肉体に依存し、人間の欲望や記憶から産まれる産物に過ぎない。







常に自分(個我)を疑うこと、そして自分の中にいる神(ブラフマン)を想うこと。





そこに本来の人の生きる道がある。






私はそう信じる。