激おこ事案が、どんどんどーん!と五月雨式に。
こうなった時、いろいろ考えちゃう。
「怒り」のトリガーになっている、根っこの感情。
こいつを癒すことができれば、受け入れられるのか?
癒しが必要で、癒すことができたとしても、激おこ事案に携わる必要ないんじゃないの?
とかとか。
1月末に、ボッキリ折れてしまった気持ち。
自分の内側に取り組めば取り組むほど、
修復は不可能な折れ方よなぁ、
という感触が強くなる。
たとえ修復できたとしても、まったく同じには、ならない。
どうやっても、ツギハギ。
それはわかってる。
無理に修復する必要はないのだ。
折れるべくして、折れたのだ。
時間をかけて労力注いで、
打ち込んでいたから、
折れてしまって、
無念で、悲しいのだ。
上手いこと、分かり合えんかったのだ。
けれども、
視点を変えれば、
何もかも自由に決められるってことなのよね。
どちらに新たな枝を伸ばすのか?
そもそも伸ばす必要あるんか?
新たな種を、苗を、全然違うところに埋めてもいいんでないの?
やることも、
場所も、
全部、自由に決めて良い、まっさらな状態になったのだ。
と、思う気持ちが大きくなってきた、本日。
折れた枝を、揺さぶられるから、悲しいのだ。
と書いていて思った。
丈夫で立派な枝を、無理やり折られたというよりも、
そもそも、折れるほどに、もう弱っていたのかも。
だから、簡単に折れちゃったのかも。
やはり折れるべくして、折れたのだろう。
ここが、大きな転換点なのだ。
なにもかも、自由で良い。
そういうタイミングなのだ。
とは言え、
好きな絵を描いて下さ〜い🌟
と言われて困っちゃうようなもんで、
「なんでもあり」になると、困っちゃう。
困るってことは、
それくらい「軸がブレてる」んだろうなぁ。
と痛感している。
いろんなことできるのが持ち味で、
一点突破のスペシャリストではない。
ジェネラリストといえば聞こえは良いけれど、
そんな大層なもんでもない、と思ってる。
いろんなことを、広く浅くできるという程度。
「これ!」というのを持っていない。
だから問題に直面すると、すぐブレる。
俺は何がしたいんだ?病
人とのコミュニケーション、
下手ではないと思っているんだけど、
下手くそなのかなぁ。
という考えが入ってきて、凹む。
下手くそ、というか、
柔軟性が低いのかなぁ。
嗚呼あ。
この機会に、あちこち修繕を進めたい。
根本的な部分を、徹底的に。