子どもが喜ぶことをただしてあげるだけ | 6番目のロクちゃん

6番目のロクちゃん

またまたまた始まった赤ちゃんとの毎日。
6番目のロクちゃんとの毎日。
大声で幸せすぎーっで叫んでる。
でも上の子5人との合宿所のような生活も。
そう、子どもたちとの毎日は合宿だ。
私の強化合宿ね。結局体育会系抜けないね。

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本屋さんには毎日寄る。
新小岩、一之江、亀戸、市川、行った先でポイントカードをもらうけれど、結局買うのはマチマチなので、貯めるのはやめた。
Amazonは最新刊の予約をして最速に届くのが嬉しい。私の読む本の傾向を把握されているので、オススメを見るのも楽しい。
たまに、長女の傾向の大学赤本や3年生の三男の「サバイバルシリーズ」も勧められるが。

ロクをオンブしながら、あちらこちらの書店をひやかしている。飽きて泣き出すまでウロウロ。眠っている時はじっくり。
意外な出会いもある。私の無意識のぶらぶら歩きで目に止まる本が違う。

昨日は、佐々木正美先生の著書に久しぶりに会えた。先生の「子どもへのまなざし」シリーズ。
もう20年近く前の初めての出会い。
長男出産から、育児は勉強で何とかなるはずと、受験勉強のように育児書を読み漁っていた。

その本たちの中で綺羅星のごとく、光を放っていた「子どもへのまなざし」。
先生はママを責めない。子どもを責めない。◯◯しなければ、とがんじがらめにしない。ただ、子どもへの、迷う親への暖かなエールだけがある。
子どもの喜ぶことをしてあげるだけで大丈夫。
どんなに抱いても大丈夫。
どんなにオッパイをあげても大丈夫。
どんなに優しくても大丈夫。

子どもを叱ってしまって、落ち込む中、どの本もますます自己嫌悪を深めた。
しかし、親を責めない先生の言葉に出会い、叱らなくて良かったんだ。と、自分を責めず、子どもを責めることも減って行った。あの頃、あの本に救われた。
そして、同じように救われた親子がどれほどいるだろう。

責めるという行為は、何も解決しない。
責めないで、受け入れられた時、なぜ迷ってそこに佇むのか?教えてもらうだけでいい。立ち上がるれるのは、追い立てられてではなく、進む方向が分かったから。

今回の「どうか子忘れないでください、子どもたちのことを」もまた先生の優しさが溢れていた。また涙が出た。見れば、帯に「感涙」としっかりと書いてあった。

どこに打たれたかというと。
「品物を買って欲しい」と駄々をこねて大泣きする子どもについての記述。

ウチは4番目の次男にして初めて、あの経験をした。お店の前で「買って」「買って」とひっくり返って泣かれる。
あれは、経験した親でなければ分からない屈辱感と焦り。
アーケードで大汗をかく。

私もたまに、その場面に合う。
自分が体験するまでは、「躾がなってない」「ウチの子は聞き分けがある」と冷ややかに見ていた。

自分が体験してからは、
「子どもに負けるな、頑張れ」「世間の冷たい目に負けないで自分の意思を貫いて」
と心のエールを送っていた。

佐々木先生の見解はまるで違った。
「そういう子どもは、駄々をこねずに何かを買ってもらったという体験が圧倒的に少ない」と。
やられた。気づかなかった。

ウチの4番目だけ、あれをやったのも訳があったのだ。10年以上気づいてやれなかった。あれをやる子とやらない子がただいるだけだと思っていた。
タイムマシンに乗って、あのアーケードやスーパーに行きたいな。何が欲しかったのかな。私の興味を引きたかったのかな。

明らかに私は次男をそうやって見くびっていたのだろう。4番目だし、次男だし。下に三男も産まれたし。
洋服もお下がり、オモチャも豊富にあり、私はベテランママぶっていた。

ただただ、あの子のために何かを見つけたり、買ってあげたりしなかったのだろう。全てに慣れてしまっていた私に、ちょっと待て!を「買って」「買って」で示していたのだ。大汗をかいていたのは子どもの方だった。

いつも書店には大切なメッセージが並んでいる。神様から、タイムリーに、またはちょっとあとからメッセージが届いているのだ。

だから、また、ヤボな間違いをしないよう今日も書店に空からのメッセージを受け取りに行ってみる。