今日は2009.02.17 火曜日
本当に寒い一日
久々に外に出たせいもあったけど
手がかじかんで
頬の筋肉が固まって
ピアスが冷え切って痛かった。
今日ペッツと林君とナスと私で
BAR終わりにすき屋でごはんを食べて
何やと話した。
その時に思ったこと。
私達は
いつから
比較することでしか
不安や安心を
手に入れられなくなったのか。
もっと言えば
自分の不幸や幸せまで
比較の上に成り立っている気さえする瞬間がある。
考察してみた。
はっきりとは言葉にならないけど
1つばかり思った。
「生きることが容易になっている」
生きることが容易になっているという意味は
生きることがいつしか目的ではなくなって
生きることが当たり前で
他に目的を探せるほど余裕があるということ。
生きること自体が困難な場合
例えば貧困や病気の場合
生きていることが当たり前ではない。
生きていることを
きっと幸せに想う。
感謝もする。
もしも世界が100人の村だったらという絵本があるが
その中にも出てくるように
私は恵まれている
家やポケットに小銭もあるし
ご飯も食べられる
仕事もある
だけど
感謝の気持ちは日常の波の中
磨り減って
薄れていく
心がけなのか
怠慢なのか
人を傷つけたり
うらやましく想ったり
腹を立てたりする
何なんだ。
私が8年ほど前になるが
たまに顔を合わせる友人で
とても優しくて
自由で
思いやりがあって
細かいことを気にせず
おおらかな男性がいた。
決してねたみやひがみも口にしない
私はその頃
人間の渦の真っ只中に渦巻いている毎日に溺れかけていて
とても疲れていた。
その彼にある日私は聞いた。
「どうやったらそんな風に生きられるの?」
そしたら
笑いながら一言。
「明るくなったら起きて暗くなったら寝ればいいんよ」
私はガツンと衝撃を覚えた。
何か人間らしく生きることを一言で言われた気がしたから。
当たり前のことだけど
当たり前のことをできてる人は本当に少ない。
当たり前のことを当たり前にして生きれば
生きることは
こんなにすばらしい。
応用ばかりが小手先で上手くなっても
基本が出来なければ本物じゃない。
私は応用ばかりの日常に足をとられて
本当に大切なものを忘れていることに気づいた
そのあとしばらくして大阪に出ることにした。
歌を歌うために。
相変わらず
今も
暗くなるころ働き
明るくなったら寝る生活
いただきますと
ごちそうさまも最近忘れる。
仕事の時間は今は変わらないけど
明日から
いただきますと
ごちそうさまを
ちゃんと言おう。
ほんの少しずつでも
感謝の気持ちをすり減らさないように。