黄金狂時代(1925)
数々の名作を作り出してきたチャップリン作品の中でも、最高傑作として挙げる人が多い本作。
チャップリンが見た、たった一枚のチルクート峠を越える探掘者の行列の写真からひらめいたアイディアを、イマジネーション豊かに、さらにはほろ苦いラブ・ストーリーの要素まで詰め込んだ傑作。
ゴールドラッシュの波にのまれてか、山高帽にぶかぶかのズボンというおなじみのスタイルをしたチャップリンが、アラスカの山中にやって来る。
飄々と雪道を歩く後ろにクマがついてきているというオープニングギャグから始まり、ドタバタを中心として物語は進んでいく。
今やスタンダーととなり、当たり前のように使われている、「画で魅せる」ギャグのオンパレード。
風が強すぎて前に進めなくなるシーンや、ろうそくに塩を振って食べてしまう場面、極度の空腹でチャップリンが鶏に見えてしまう場面など、なんの説明もいらない。
とにかく観ればわかる。
中でも、(余りにも有名なシーンだが)靴を煮て、フォークとナイフでおいしそうに食べるシーンの可笑しさよ。
このあと酒場に出かけるチャップリンは、酒場の娘ジョージアに一目ぼれするのだが、そのジョージアを待ちわびての大みそかのシーンが、打って変わってしんみりと切なくなるのだよ。
有名な「靴ディナー」のシーンより心にしみる。
短くなっていくロウソクをメタファーとして、チャップリンの恋心と切なさを表すこの演出の見事さ。
クライマックスは、手作り感あふれる特撮を使っての大スペクタクルシーン(笑)
日本のドリフターズの「長屋コント」は、そっくりこのシーンの頂きだといってもいい。
この作品では、空腹というのが大きな意味を持つ。
この空腹が原因で、小さな小屋の中で争いを含むいざこざが起こるのだが、あるいは、今、世界各地である紛争や過去の戦争などは、突き詰めていけば本作と同じことをしているのかもしれない。
満腹で幸せならば、人々は争いを起こさない。
そんな気がした。
ラストは甘いハッピーエンド。
もし、チャップリンが金を発掘できないままでいたらどうなっていたのかなんて、ちょっと邪推してみたくなる天邪鬼な僕です。
大正時代に制作された作品が、今なお輝きを失わず、それどころか、現在のあらゆる作品が比肩できない面白さを持ち続けていることに、改めて感服してしまう次第。
『黄金狂時代』The Gold Rush(1925)米
チャールズ・チャップリン監督 オリジナル・サイレント版/82分 - 96分・1942年サウンド版/73分
1925年(大正14年)12月日本公開