普通の人々(1980) | あの時の映画日記~黄昏映画館

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 普通の人々(1980)

 

名作の誉れ高い作品でも、若いころにはピンとこず、いまいち理解できなかった作品ってありますよね。

 

私にとっては、本作がまさにそうで、アカデミー作品賞受賞の感動作ということで、公開当時、期待値をMAXにまで上げて観に行ったのですが、その時は単調で本当につまらない作品だと思いました。

 

しかし、初見から40年以上たって、辛酸をなめるような人生を過ごしてきた今再見すると、登場人物の一人一人の感情の揺れが理解できるようになっている自分に気づきました。

深い作品でした。

 

シカゴ郊外に住む弁護士一家。

父親カルビン(ドナルド・サザーランド)、母親ベス(メアリー・タイラー・ムーア)、息子のコンラッドの3人で暮らしている。

 

高校生のコンラッドは、聖歌隊に入り、水泳部にも入っていて、一見普通の高校生なのだが、なぜか、いつもイラついているように見える。

 

そんな息子を、父親は腫れ物に触るような態度で接し、母親は息子に対してどこかよそよそしい。

物語が進むうちに、兄のバックが、ヨット事故で死亡していたことの責任を全てコンラッドが背負っていることがわかってくる。

そして、そのやるせない苦しみが自分の内側にどんどん堆積していく。

 

そして母親はがコンラッドに対してよそよそしいのは、長男バックを溺愛していたことが原因だとわかってくる。

家族同士の優しさが摩擦になって火花が起こり、家庭が崩壊していく様は残酷と形容してもいいだろう。

 

精神分析医が、この物語に大きなウェイトをもっているところがアメリカ社会らしいと感じました。

 

コンラッドが、精神分析にやるせない怒りを爆発させてから、少しだけ心の平穏を取り戻した後、クリスマス休暇の旅行から戻ってきた母親に抱き付いて挨拶するシーンでの、母親メリー・タイアー・ムーアの戸惑いの表情。

それを見て家族の崩壊を予感する父親ドナルド・サザーランドの悲しげで鋭い視線。

静かで熱いクライマックスです。

 

初見の時は、登場人物たちの繊細な心の機微がわからなかった。

が、今、本作が監督第一作目となるロバート・レッドフォードの演出はがっちりとしていて、薄い氷の上で人生を演じているような危うい登場人物たちの心情が、心の奥まで染みとおりました。

大げさな表現ではなく、本当に心が震えました。

 

『普通の人々』Ordinary People というタイトルがなんと皮肉なことよ。

 

 

『普通の人々』Ordinary People(1980)

ロバート・レッドフォード監督 124分

1981年(昭和56年)3月日本公開

第53回アカデミー作品賞・監督賞・助演男優賞・脚色賞受賞