夜よ、さようなら(1979)
19歳の少女、マリー(ミウ=ミウ)は、若い男の、ジェラール(ダニエル・デュバル)に一目惚れ。たちまち恋に落ちるが、このジェラールの稼業は、『ヒモ』。
マリーに売春させて、その上がりで食ってる男。
マリーは娼館に売られ、ソフィーという源氏名をつけられ次々と客を取らされる。
客の中には危険な客も多く、危ない仕事なのだが、遠慮なくジェラードはその上がりをハネていく。
我慢できなくなったマリーは、ジェラードのもとを離れようとするが、ジェラードの粘着的な手段もあり、なかなか離れることができない。
時には、「愛してる」のジェラードの囁きに参って自ら戻ったり。
そんな関係が延々繰り返されるのだが・・・
最近、ニュースで新宿歌舞伎町や大阪道頓堀の立ちんぼ(街娼)をよく見ます。
彼女達は怖くないのだろうか。
怖いという感情をもなくしているのだろうか。
本作の主人公であるマリーは、いわば組織売春なので、危ない目に遭ったらその筋の男が出てくるんだけど、彼女らは全くの個人であると聞きます。
いやあ、危険だよ。
こういう危険は本能ではわからない。
オブラートに包んだような性教育では少女たちを守ることはできない気がします。
もっと踏み込まないと。
本作で描かれる売春行為は、裏社会が絡んでいて一応違法なんですど、(このあたりのシステムがよくわからないのですが)公安に届け出るシステムになっているようなんです。
だから、廃業届のようなものを自ら提出すれば、その稼業から足を洗えるようなんですけど、新宿などで立ちんぼしている少女たちってそんなのは無いのでしょう。
一度足を踏み入れたら底なし沼。
身体も心も壊れてしまう。
少女たちに本作を観てほしいですね。
売春は古代からある商売で、現在に至るまで需要と供給で成り立ち続けているんだけど、彼女らの行為は本当に怖いよね。
簡単に稼げると思っているみたいだけど、簡単に稼げるお金は身につかないし、リスクを考えたら絶対に楽な商売じゃないんだよね。
本作で描かれる娼館は、日本で言うと、飛田新地の料亭システムのような感じです(具体的にはググってください)。
最初から最後までヒモ男と娼婦の関係が同じパターンで延々と続くので印象に残るシーンも少なく、レビューも作品とはあまり関係ないことを書いてしまいました。
マリーを演じるミウ=ミウは熱演なのだが、売春公認の父親を含めて、出演する男性陣には誰にも共感できませんでした。
音楽だけは良かった。
『夜よ、さようなら』La De robade(1979)仏
ダニエル・デュバル監督 113分
1980年(昭和55年)8月日本公開