昨日の1954年公開の映画。
まだまだ本作のようなとても興味深く考えさせられる社会派作品もありました。
製作は1950年だったのですが、
日本公開は1954年(昭和29年)だった本作。
フランスで薬学研究所の副所長である女性が、
愛人を安楽死させるという事件が起きる。
裁判にかけられ、
女性への求刑は死刑。
性別も経歴も職業も年齢も様々な人々が陪審員として徴集される。
被告の彼女は外国人で無宗教だった。
裁判で被告の女性の素性が様々と暴露され、
愛国心の強い元軍人や敬虔なカトリック教徒の陪審員には悪い印象を与える。
その他の陪審員たちも、
この裁判でカッコいいところをみせて結婚に反対する女性の両親を口説こうとする者や、
愛人につきまとわれるプレイボーイの男、
雇っていた外国人の若い男に妻を寝取られた農夫、
若い男に口説かれる中年女性、
子供がたびたび発作を起こして殺してしまった方がいいのではないかというところまで追いつめられた男など、
それぞれの立場で考えると被告の印象が変わってしまう人たちだった。
裁判が進むにつれ、
殺された被害者には莫大な遺産があったこと、
所長の座を巡って被害者の妹と対立していたこと、
被告を安楽死させる時点で被告には別の愛人がいたことなどが発覚するのだが、
陪審員たちは自らの境遇と重ね合わせて、
評決は分かれることとなる。
世論では裁判が始まった時点で求刑通り死刑が間違いないと思われていた判決はどうなるのか・・・
陪審員を題材にした作品では、
『十二人の怒れる男』(1954)が有名で名作ではあるのですが、
『十二人~』のラストが割とスッキリと終わるのに対して、
こちらの方はモヤモヤが残り、
鑑賞後により深く考えさせられる作品になっています。
そして陪審員一人一人の生活描写がよく描かれていて、
そこにも多少のサスペンスが生まれたりするのがいいですね。
そして、その描写が評決に大きく影響してくるところもうまいです。
安楽死は殺人なのかというテーマが重いです。
被告の女性は苦しみを長引させたくないために被害者との約束の元実行したと言います。
生死を操ることができるのは神だけだという主張で安楽死は殺人だと主張する者。
約束の元慈悲の心で安楽死を行ったのであり、そこは情状酌量を認めるべきだと主張する者。
観客の視点からはどちらの主張も納得できるので評決の行方に関心が強くなる。
そして被告には別の愛人がいたという事実。
末期がんの被害者を安楽死させてその愛人の方についていくというのは、
道義的にどうなのか?
それが悪いと言い切れない陪審員もいるのです。
評決の結果はどうなるのかというのは本編を観ていただくとして、
すんなりと『十二人~』のような逆転劇にならないところが重いです。
『遺産獲得のための殺人なら軽すぎ、自由を犠牲にしても約束を守った安楽致死なら重すぎる』
というモノローグで終幕となるのですが、
人が人を裁くという陪審員制度の問題点を鋭く突いています。
絶対の評決者はいないということです。
いい作品です。
『裁きは終わりぬ』Justice est Faite(1950)
アンドレ・カイヤット監督 106分
1950年ヴェニス国際映画祭でグランプリ受賞作