沖縄の民(1956) | あの時の映画日記~黄昏映画館

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あの日、あの時、あの場所で観た映画の感想を
思い入れたっぷりに綴っていきます

第2次世界大戦中、日本で壮絶な地上戦となった沖縄戦。

その戦いを兵士側からではなく沖縄に住む一般人の視線から描く。

 

昭和19年。

サイパンが陥落し米国軍の日本攻撃が迫ってきた。

沖縄に住む住民たちは本土に向けての疎開船で島からの脱出を試みる。

 

小学校へ通う年頃の学童たちもその対象で、

数百人の学童たちが疎開船ツシマ丸で本土に疎開することになる。

生徒たちに慕われていた教師真知子は、

次の生徒たちの選考のためにツシマ丸には乗船せず、次の疎開船に乗ることにする。

 

しかし、

そのツシマ丸が米軍潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没。

多くの生徒たちが帰らぬ人に。

 

島に残っていた住民たちは、

消息不明となっていたツシマ丸が沈没したことを知り、

生徒たちの両親たちを中心にツシマ丸に乗船することを促した真知子や校長を非難する。

 

対馬丸事件

 

その非難に耐えきれなくなった校長は自殺。

 

そうするうちに、

米軍は沖縄本土に上陸し、

学徒兵を含む日本軍は米軍との地上戦へ挑むことになる。

 

史実を基にしたセミドキュメンタリーです。

ですから、この戦いの結果は書かなくても想像がつくと思います。

 

命からがら防空壕に逃げ込む一般市民たちだが、

戦況が悪化してくるとその壕も軍に明け渡さなければならない。

防空壕に逃げ込んでいるのは移動するのも辛いお年寄りや幼い子供などがほとんどなのだが、兵隊さんが敵をやっつけてくれるためには仕方がないと言ってほとんどの人が文句も言わずに明渡に同意する。

 

島の北部では真知子らが子供たちとともに隠れていたが、

こちらでは深刻な食糧不足となり、

命がけで敵の陣地近くの畑までイモを取りに行ったりする。

 

学徒出陣で戦いに参加した若者らはほぼ全滅。

学徒兵らから校長と呼ばれていた先生が敵弾に撃たれて殉死するシーンが痛ましい。

 

米軍による空襲のシーンは、

実際に遭遇したら絶望的になるくらい強烈。

情け容赦ない。

 

散々空爆しておいて、

我々はあなたたちを助けますと投降を呼びかける米軍も白々しい。

 

結局日本軍は降伏し、

沖縄は占領され米国の指揮下に置かれることになる。

 

本作品が制作されたのが1956年。

沖縄が本土返還されたのが1972年。

この間沖縄に行くのにパスポートが必要だったことを知る若者も少なくなってきたのではないか。

 

ラストシーンで、

真知子が教える生徒の一人が、

早く日本に帰りたいという作文を読んでいきます。

しかし、途中から米軍機のエンジン音と爆音でその声はかき消されていきます。

 

現状も多くの米軍基地が集中する沖縄。

このラストシーンは政治的なスタンス(視点)によって印象が変わるだろう。

 

沖縄で戦っている日本軍兵士たち。

一向に援軍がこないのを国から見捨てられたと絶望するシーンが、この沖縄戦の意味を観客に問いつける。

 

こんなに静かに燃え上がる日本の戦争映画は珍しいんじゃないかな。

未見の方にはぜひ観てほしいです。

 

左幸子、長門裕之、金子信雄ら、

演者は皆静かな熱演です。

 

沖縄の民 (1956)

古川卓巳監督・脚本 96分