今年も12月8日がやってきました。(Livedoorブログより引用) | あの時の映画日記~黄昏映画館

あの時の映画日記~黄昏映画館

あの日、あの時、あの場所で観た映画の感想を
思い入れたっぷりに綴っていきます

もう、35年の経ってしまったんですね。
1980年12月8日。
あの衝撃の事件から。

若い人は知らない人が多いかもしれない、
ジョン・レノンが狂信的なファン(諸説ある)からニューヨークの自宅前で射殺されてしまった事件。

40歳だった。
本当に若すぎる。
35年経った今でもやりきれない。

愛と平和を歌い続けてきた彼も、
晩年は個人的な小さな愛を歌うようになっていき、
角が取れてとても丸くやさしく感じられるようになっていった。

Beatles時代は、
ストレートなロックから、
皮肉めいた社会風刺をしたもの、
明らかにドラッグ体験を歌ったものなどが多く、
ポール・マッカートニーの曲風とは明らかに違っていた。

が、
オノ・ヨーコと出会ってから、
次第にBeatlesと距離をとるようになり、
1970年に発表したソロアルバム、
『ジョンの魂』に収録された最後の曲、
『God』で、
I don't beleave the beatles♪
と歌い、完全にBeatlesと決別した。

しばらく、
育児のためにHouse husbandとして音楽活動を中断。
フィクションだそうだが、
息子の「パパってビートルズだったの?」という言葉に感化され、
音楽活動を再開し、
ニューアルバムを発売した矢先、
事件が起こってしまった。

この事件の反響は、
たちまち世界を駆け巡った。
(以下、wikiから引用)

この事件は、元ビートルズの3人にも大きなショックを与えた。カナダに滞在中だったリンゴは後に妻となる女優のバーバラ・バックとともにニューヨークに飛び、ヨーコとショーンを見舞った。

マッカートニーは「ヒア・トゥデイ」を、ハリスンは「過ぎ去りし日々」(ポール、妻リンダ、デニー・レイン、ジョージ・マーティンがバック・コーラスで、リンゴがドラムで参加)をレノンの追悼曲としてそれぞれ発表した。



また世界中のミュージシャンたちもこの事件にショックを受けた。ビートルズと人気を二分したザ・ローリング・ストーンズのギタリスト、キース・リチャーズは「ジョンを殺した犯人に対しては、憎しみが薄れることはなく増すばかりだ」「ジョンを殺した奴を、オレが必ず撃ち殺してやる」と発言している。



日本ではビートルズ・シネ・クラブにファンからの電話が殺到し、
同クラブ主催による追悼集会が日比谷野外音楽堂で行われ、『心の壁、愛の橋』のフォト・セッションでの巨大写真が掲げられ、ステージにはその後キャンドル片手に街を行進した。その後も節目ごとに追悼イヴェントが行なわれている。
(以上、引用終わり)

こんな悲惨な事件があったにもかかわらず、
アメリカでは銃の規制は一向に進まない。

毎年この日が来るたび、
悲しみが増すばかりで、
記憶が薄れることはない。

そんなジョンが最後に残してくれた、
美しい曲。
『(Just Like) Starting Over』


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