校歌の広場 -30ページ目

校歌の広場

高校の校歌についていろいろ書き綴っています。
高校野球でも流れたりする、校歌の世界は奥深いですよ~

今回は、滋賀県の信楽高校です。
http://www.shigaraki-h.shiga-ec.ed.jp

甲賀市は滋賀県の最南部を占め、平成16年に水口町や信楽町など5町が合併して成立しました。
旧・信楽町は、古代の都・紫香楽宮があった土地や、古くからの焼き物の町として全国的な知名度があります。

紫香楽宮は奈良時代に聖武天皇により離宮として造営され、何度か行幸されたあと新京となり首都とされたようですが、厄災が重なりわずか4ヶ月で平城京に戻りました。
近年の発掘調査では、宮町・内裏野など5地区にまたがる本格的な都城として計画されたと思われる遺構が次々と見つかったそうです。

信楽焼日本六古窯のひとつに数えられ、定説には室町時代頃に尾張常滑から伝播した作陶法が発展してきたと考えられているそうです。
壺や甕やすり鉢などの原始的なものから、茶の湯が盛んになると茶陶器が、近代や現代に至ると植木鉢やタイルなど多様なニーズに合わせた焼き物が生まれました。
一般的にはタヌキやカエルの置物で有名でしょう。今のような笠に徳利などを持った愛嬌ある狸が作られ始めたのは明治時代からで、「タヌキ=他抜き=他を抜く、群を抜く」や「太っ腹」という意味合いから商売繁盛金運向上招運祈願の縁起物として店先に置かれていることが多いですね。時代の流れを受けてか、バリエーションが多くなっているようです。

学校は昭和23年に甲賀高校信楽分校として開校し、昭和27年には甲南高校独立に伴いその分校になっています。
陶業で有名な町の高校だけあって、開校当初から全国でも数少ない窯業科を持つ学校のひとつです。
昭和47年に信楽工業高校として独立し、昭和57年には普通科を新設して現校名になりました。
校歌は作詞:園脩 作曲:楠芳文で制定年は不明です。分校時代はそれぞれの本校の校歌だったようですが、信楽工時代から現在の校歌だったのかは前回遠征では確認できませんでした。
信楽 (全3番)
 宮跡煙る 紫香楽の
 愛宕の丘に 聳えたち
 久遠の理想 かかげたる
 若き血潮の 高鳴りに
 いや栄えあれ 信楽高校

マップで見ると信楽高校は小高い山の西麓にあり、この山が「愛宕の丘」こと愛宕山です。
土の香匂い、炎舞う、陶芸の町…」が陶都・信楽の環境と誇りを歌っているのですね。瀬戸市土岐市など陶芸で知られるところでは似たような表現の校歌があります。
校歌探訪の旅、今回は岐阜県を紹介します。

岐阜県の校歌を調査するには、岐阜県図書館が最適です。ここだけでほぼ全校が集まるからです。
岐阜市立中央図書館もありますが、蔵書とアクセスで県立に分がありますね。実際私も県立しか訪問していないので県立のみ紹介します。

岐阜県図書館 (延べ6回訪問)
岐阜県図書館へ行くには、市の中心の岐阜駅よりは隣駅・JR西岐阜駅のほうが近いです。
西岐阜駅で下車、コミュニティバスか徒歩で南東に向かいます。徒歩でも15分もあれば着くので私は歩いてきました。図書館周辺には県立美術館や市立科学館もあり、文化ゾーンのようになっています。
平成7年に現在地に移転してきたので建物は比較的大きくきれいですね。
開館は平日・休日とも10時からなので、朝の余裕があると見るか調査時間が惜しいと見るかは人それぞれでしょうか。

アクセスのしやすさ… 駅から比較的近い。バスでも徒歩でも可。バスは運賃一律100円。
所蔵本の充実さ… 学校史、学校要覧とも充実しているので、時間さえあれば全校収集は可能でしょう。
所蔵形態など…? ここも書庫が中心ですが、コピーは可能です。

岐阜県図書館は特に学校要覧が充実していて、年度別に公立・私立問わず何冊かに分けてまとめられています。いわば"要覧集"のような感じです。
なので"手っ取り早く"調べたいときは、まずこれが有効です。現在は閉校した学校も年度を遡れば見つかりますね。
校歌集のようなものは無いのですが、要覧集で代用できるといえばできます。多くは楽譜とともに紹介されています。旧制調査の基となる学校史もPC検索機で探すと多く出てきます。
ある程度決め打ちしておけば、数回で"コンプリート"することも可能でしょう。

ひとつ懸念があるとすれば、数年前に"学校史切り抜き事件"が頻発したことによりほぼ全て書庫行きとなっていて、出庫の待ち時間が発生することでしょうか。
このような事件の影響で調査に支障が出てくるのは非常に残念です。実際、閲覧申請を厳格にしている図書館もありました。

岐阜県図書館がこのように親切なおかげで、岐阜県の学校はほぼ全校調査が終わりました。
制定年が不明なところがいくつかありますが…

今回は、愛知県の大府高校です。

https://obu-h.aichi-c.ed.jp/index.html

 

大府市は愛知県の中西部、尾張と三河の境付近にある町です。

地質学的には知多半島の根本にあるため尾張地方南部に属しているのですが、名古屋・知多・三河の要衝に位置しているため三河地方との結びつきも強く、トヨタグループデンソーグループなどの大企業も進出する工業都市でもあります。

一方このあたりは丘陵地帯となっていて溜池が多く近郊農業が盛んで、農工併せ持った町と言えましょう。

 

大府高校は、昭和24年創立と知多地区北部では歴史のある学校です。

校歌は作詞:久松潜一 作曲:小股久で昭和26年制定です。
大府 (全3番)
 桃の花 夭々たる 東海のこの地
 学びいそしむ 若人われら
 平和のうちに 真理をもとめ
 社会にいでての もとゐきづかむ

 

桃の花、夭々たる 東海のこの地」のとは、大府市に多く植えられているハナモモのことでしょうか。特に桃山公園桃陵高校がある桃山地区では大正から昭和にかけて桃の果樹園が広がり、開花の時期には多くの花見客で賑わっていたそうです。

しかし現在は名古屋のベッドタウンとしての性格が強くなり宅地化が進んだせいか、果物としての桃を栽培しているところは少なくなっているようです。

 

作詞者の久松潜一氏は愛知県東浦町出身で、歌人であるかたわら国学や古典の研究をされていました。

七五調などの定型詩ではなく、自由な調べで学生の目標などを力強く歌ったものが多いのが特徴でしょう。氏の校歌は郷里の東浦高校をはじめ愛知県のみならず東北地方や東京などにも見られます。

 

高校野球では、私学が圧倒的優位にある愛知県において数少ない公立の強豪校です。

春4回、夏3回の計7回の甲子園出場があり4勝を挙げています。最後に校歌が流れたのは平成7年春ですが、また出場するチャンスは大いにあると思います。

他にもバドミントン部チアリーディング部が全国大会出場経験があります。

今回は、京都府の洛東高校です。

 
文字通り"京洛"=京都の東という意味の学校で、京都市山科区にあり開校は昭和29年です。
山科地区はは京都市の東端にあり、近世までは山科町でしたが昭和6年に京都市東山区に編入され、昭和51年に分区されて山科区となりました。
京都市街とは東山で隔てられているためか、南の伏見区とのつながりが強いようです。
 
校地は山科駅から北500mほど、琵琶湖疎水と山の麓に挟まれた自然豊かなところです。
山科区では唯一の公立高校で、昭和年間までは商業科もありましたが現在は普通科のみです。
校歌は作詞:秋山羊一 作曲:石桁真礼生で制定年は不明ですが、昭和33年までには作られたようです。
洛東 (全2番)
 緑なす 山脈
 さやけき流れ 薫風渡りて
 悠久の 自然に通ふ
 ここ山科に 集ふ若人
 仰ぐ白堊の 学び舎に
 八稜旗 高くはためく
   ああ 高くはためく
 
八稜旗」とは光芒が八方に伸びた校章の旗で、洛東の"東"の形をも表しています。
今回は、静岡県の三島南高校です。

三島市は静岡県東部に位置し、地域的には伊豆地方にも含まれます。
伊豆国府が置かれ、伊豆国一宮・三嶋大社の鳥居前町として発展してきた歴史があります。また、東海道・三島宿は箱根山西南麓に位置するため箱根山八里越えの拠点としても賑わいました。
三嶋大社の創建年は不明ですが、7世紀頃の文献には既に見えるそうです。源頼朝が伊豆に配流されたとき、源氏再興を祈願し成就なると武士の信仰を集めて隆盛、戦前は官幣大社に列しました。
国宝や重要文化財も多く、桜の名所として観光地となっています。

学校は大正8年開校の三島町立三島商業学校を前身としています。
開校初期には関東大震災北伊豆震災で2度とも校舎が倒壊、戦後も火災がおこる悲運もありましたが、その都度再建されて現在に至ります。
三島商時代の校歌は作詞:公野半次郎 作曲:中山晋平で制定年は不明です。
旧制・三島商 (全5番)
 雲居に高き 富士の嶺は
 神代ながらの雪の御衣
 つらなる函嶺 天城山
 そのとりどりの装を
 あつめてここに三島市
 位置形勝の三商校

4番に「国府の古昔偲ばれて、繁華日に増す此所にしも、いつきまつれる大社こそ、我が商業の守り神…」と三島の背景が歌われています。
戦後に私立東静商業学校を併合したとありますが、明治後期創立の田方商業学校だったこと以外は校歌はおろか詳しいことは解っていません。

昭和23年の学制改革で三島第二高校となり、翌年に現校名に改称しました。
平成13年には単位制普通科に移行し、文武芸の鼎立を目標と定めています。
校歌は作詞:穂積忠 作曲:小松清ですが、最初に作られたときは小平時之助氏の作曲だそうです。制定は昭和23年です。
三島南 (全3番)
 ゆるぎなきものに念はむ
 富士 箱根 蒼穹に据れり
 裡深く 焔 蔵めて
 永劫に 高くしづけし
 学園の 合言葉
 自覚 自覚 我らの自覚

校訓"自覚"を織り込み、穂積忠氏らしい格調高い歌詞です。
穂積忠氏は北原白秋折口信夫に師事した静岡県の歌人で、昭和29年に逝去するまで三島南高校の校長を務めておられました。
他には母校・韮山高伊東高松崎高田方農業高の校歌も作っています。