またも4ヶ月以上間を空けてしまいました…
プライベートでやや落ち着きを取り戻したので、今後ブログにも目を向けていきたいですね。
今回は、兵庫県の須磨学園中学・高校です。
神戸市須磨区は市域の西に位置し、特に白砂青松たる須磨海岸で知られています。古来歌枕としても有名で、百人一首「淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜寝ざめぬ須磨の関守」他、万葉集の昔から多く”須磨の浦”や”須磨の藻塩焼き”が歌われています。
淡路島に向かう明石海峡大橋が望め、風光明媚な土地柄、神戸への移住地としても人気がある町となっているようです。
学校は大正11年に神戸市須磨区に須磨裁縫女学校として創立したのが源流です。
昭和13年に須磨女学校、19年に須磨女子商業学校、21年に須磨高等女学校と変遷、阪神大水害や戦中の神戸空襲など数々の災難に遭い戦後の混乱期を生き残ってきました。
旧校歌は作詞:西田正 作曲:徳増春三で昭和15年制定です。
旧制須磨女学校、須磨女子高校 (全3番)
淡路島根 うちかすむ浦は 通ふ船の 梶の音絶えせず
古き御世ゆ 優しさ伝へて 今も乙女 文習ふ里ぞ
作詞者の西田氏は須磨学園の創始者・西田のぶ女史のご子息で昭和18年に須磨女学校に着任とあるのですが、それ以前から学園に関わっていて校歌を作られたのではと思われます。さらに言えば、西田氏の略歴に神宮皇學館(現在の皇學館大学)卒とあり、実は上記の校歌は神宮皇學館の校歌に酷似しています。
皇學館高校の校歌とは別で、戦前の”館歌”ですね。
現御神 高知らす国は 天つ日継 神こそ守らせ
遠つ祖の 雄心伝へて 今も人の 神習ふ国ぞ
追記:2番は「須磨の海に底しづく珠は、潜く海女の手にこそ映えすれ…」。これは元の皇學館2番では「伊勢の海に底沈く珠は、潜く海士の手にこそ映えすれ」とほぼ同一です。伊勢市は英虞湾という有名な真珠生産地に近いので”珠(真珠)を取る”という表現は違和感ないのですが、神戸は真珠に関係があるのか?と思われるのですが、これがあるんですね。神戸パールミュージアムという真珠をテーマにした博物館、近代化産業遺産にも登録された日本真珠会館があったのですが今年の春に閉鎖されたようです。神戸は昭和初期から三重県や愛媛・宇和島など日本の真珠の集積、加工、輸出流通の拠点となっていたそうです。
また、5年前から須磨の海で本当に真珠の養殖が始まり、”Kobe SUMA PEARL”をブランドにする試みもあるそうです。作詞者の意図とは違うのかもしれませんが、約70年後に「須磨の海に底しづく珠」は現実のものとなりました。
学制改革で須磨女子高校となり、引き続き伝統ある女子校として長らく存在感を示していましたが、平成10年頃に大きな変革を迎えます。
少子化や女性のさらなる社会進出が進むという先見とそれまでの教育理念や信念の変革を痛感し進学校にするという方針のもと、ついに共学化に踏み切りました。それまでも共学化の話は出ていたようですが、阪神大震災で校舎が被害を受け、復興改修の際に男子トイレを設置するなどこの頃から具体的に進んだようです。
そうして平成11年に須磨学園高校に改称、男女共学に移行しました。同時に校歌もリニューアルされ、現在に至っています。
作詞:阿久悠 作曲:都倉俊一です。
須磨学園 (全2番)
ひたむきな心 持ち寄り 丘の上で 希望語らい
ひろがるは 明日につながる
須磨の海 伸びる大橋
ああ この時を 称えよ 愛せよ
美しく生きて きらめいて過せよ
須磨学園 ここより永遠に 須磨学園 ここより永遠に
部活動としては女子校時代から高校駅伝が有名で、優勝2回、入賞20回以上と優秀な成績を収めています。また水泳部はオリンピック選手も輩出するなど高レベルにあるといえましょう。