大分県立 日田三隈高等学校 | 校歌の広場

校歌の広場

高校の校歌についていろいろ書き綴っています。
高校野球でも流れたりする、校歌の世界は奥深いですよ~

今回は、大分県の日田三隈高校です。
http://kou.oita-ed.jp/hitamikuma/

日田市は大分県の北西部に位置する日田盆地の中の町です。英彦山を始めとする山地に囲まれているため寒暖差が激しく、特に夏季はテレビで最高気温がたびたび出てくる地域でもありますね。
江戸時代は幕府の直轄領(天領)として栄え、日田城の城下町は江戸期や明治期に建てられた商家や蔵などが残る「小京都」の佇まいがあります。豆田地区は重要伝統的建造物群保存地区に指定され、人気のある観光地になっています。
校名にもなっている「三隈」は、九州第一の大河である筑後川の本流上流部の大分側での呼称・三隈川に由来しています。また市内にある日隈・月隈・星隈の3つの丘の総称とも言われ、学校はこのうちの星隈公園や光岡駅の近くにあります。

昭和39年に日田三隈商業高校として新設されました。実質は日田高校の商業科・家庭科が分離独立した形のようです。昭和58年に普通科を増設して現校名に改称、平成8年には総合学科に改編されて現在に至ります。
校歌は作詩:小野茂樹 作曲:中山開二で昭和42年制定です。校名変更後も歌詞に変更はありません。
日田三隈 (全3番)
 紫におう 四方の山
 亀山の森の影深し
 名も光岡の丘高く
 文化爛漫 咲くところ
 吾が学び舎はそびゆなり


2番「宜園の遺風薫る地に、学ぶ吾等の…」は日田にあった私塾・咸宜園を取り入れています。1805年に儒学者の廣瀬淡窓が開いた咸宜園は、学歴・年齢・身分を問わず誰でも門下生として受け入れて平等に教育しました。明治30年に閉園するまでここで学んだ門下生は五千人近くと言われ、出身者には高野長英や大村益次郎などがいます。
3番「見よ吹上の霧晴れて、星隈青く輝くを」は、吹上神社のある高台と青葉輝く星隈丘を指したものでしょう。吹上台は市内が眺望でき、時に日田を覆う”底霧”が晴れて学校のある星隈丘に学ぶ学生の前途を「邁まん三隈」と締めています。

部活としてはインターハイ準優勝経験のあるボート部や弓道部などが活躍しています。