今回は、埼玉県の草加東高校です。
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草加市は埼玉県の東南部に位置し、東京都北区と境を接しています。
江戸時代初期に五街道のひとつとして整備された日光街道の起点・日本橋から2番目の宿場である”草加宿”として栄えていた地です。松尾芭蕉の日記”おくのほそ道”にも現れていますが、ここでは俳句は詠まなかったようです。
古来関東平野の稲作地域でもあり、米を蒸して平たく丸めて乾かした”煎餅”を間食や保存食として食されていたそうです。江戸時代後半には醤油生産地にも近かったことから醤油で味付けしたものが主流となり、日光街道の宿場町となって人馬の往来が増えたことで有名になり”草加煎餅”として後世に伝わります。
学校は昭和55年に市内3番目の県立高校として草加市の北東に開校しました。
東に中川が流れ、南はそうか公園がある他、越谷市の越谷レイクタウンにも近いため鉄道での最寄り駅はJR武蔵野線・越谷レイクタウン駅です。
草加市域は旧制中等学校は無く、昭和37年開校の草加高校が最古のようです。草加宿以来の歴史がありながら高校設置が遅かったのはなぜでしょうか。ちなみに草加市の市制施行は昭和33年です。
校歌の作者は不明ですが、昭和55年の開校に先立って制定されたようです。
草加東 (全3番)
地平のあなた 茜して
武蔵国原 かがよへば
草加の東 並び立つ
わが学び舎の清しさよ
「あなた」は、ここでは二人称代名詞ではなく”彼方”の意味です。これ、それ、あれの”あれ”に相当し遠方を指す言葉ですね。地平(関東平野)の彼方を茜に染める朝を歌っています。
3番「古駅に残る老松の、厳しき姿…」は、草加宿とその北にうち続く松並木を指したものでしょう。松並木は”草加松原”とも呼ばれ、次の越ヶ谷宿に向かう街道沿いに綾瀬川に沿って1.5kmほど続いています。戦後の急激なモータリゼーション発展に伴う環境悪化で枯死が相次ぎ一時は60本程度にまで減少したのですが、保存会の努力によって現在は500本以上にまで回復、往時の”千本松原”の景観を取り戻しているそうです。
3番の続きに「…大寒に、かつ咲く菊の気高さは、心の師とも鑑とも」と歌われます。菊は草加市の市花で、多年草のため越冬します。夏菊や秋菊が市内の数ヵ所で栽培されているそうです。
総じて松は生命力と節度、菊は気高い気品をたたえ、ともに逆境に負けない堅忍不抜の象徴と諭しているのですね。