私立 立教池袋高等学校、立教新座高等学校、立教女学院高等学校 (古い校歌シリーズ その8) | 校歌の広場

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高校の校歌についていろいろ書き綴っています。
高校野球でも流れたりする、校歌の世界は奥深いですよ~

今回は、立教大学系列の3校です。立教池袋中学高校・立教新座中学高校・立教女学院中学高校です。

 

立教池袋 https://ikebukuro.rikkyo.ac.jp/

立教新座 https://niiza.rikkyo.ac.jp/

立教女学院 https://hs.rikkyojogakuin.ac.jp/

 

池袋校、新座校は立教大学と同じ立教学院が運営している学校で、どちらも男子校です。

キリスト教会の一派である米国聖公会(ECUSA)の日本での宣教師だったウィリアムズ主教によって明治7年に設立された私塾、のちの立教学校が前身です。

当初は築地居留地内にありましたが明治32年に立教中学校に改称とともに築地明石町に移転、関東大震災によって校舎が焼失したため先に開学移転していた立教大学と同じ池袋に再度移転しています。

立教学院では戦後の学制改革で新制小・中・高・大として開設されています。これらは全て豊島区池袋に所在しているのですが、昭和35年に立教高校は埼玉県新座市に移転しました。

その後40年経った平成12年に大きな変革があります。立教中学校は高校を併設して立教池袋中学・高校に、新座キャンパスの立教高校に中学校を併設して立教新座中学・高校となり、それぞれ中高一貫教育を開始しました。

立教独自の「立教学院一貫連携教育」として、小学校から大学まで一貫・連続した連携教育や立教内の学校間で生徒の交流、高校生の大学の授業聴講、大学生が小学校の授業補助など”立教のつながり”を重視した教育が進められています。

 

校歌は立教学院では歴代で3つあるようです。

最初の校歌は旧制時代のもので作者は不明、明治40年制定です。1番のみ判明しています。

旧制・立教中 (全?番)

 仰げば 上に日星あり

 俯すれば 下に山河あり

 智識の鍵を 手にとりて

 宇宙の秘密 ひらかなむ

 六角塔下の 五百の健児

 聞け聞け 使命は吾等に下れり

 

ここに出てくる「六角塔」とは、築地明石町時代の校舎群の中央にあった5階建ての六角形の塔のことです。当時は5階建ての建造物は珍しく、立教学校のみならず築地のシンボル的な存在でしたが上述のように関東大震災で倒壊してしまいました。

 

立教高校になってから新しく校歌が制定され、作詞:立教高校選定 作曲:小松平五郎で制定年は不明です。

立教高校 (全3番)

 十字のみ旗 はためく園に

 真理を尋ね 若人たちぬ

 あゝ輝ける 世紀の朝に

 いざいざ我ら こぞりて奮はん

 栄あれ 立教 立教高校

 

その後この校歌は歌われなくなったのか判然しませんが、現在は池袋・新座とも立教大学と同じ立教学院歌「栄光の立教」を校歌としているようです。

「栄光の立教」は作詞:諸星寅一 作曲:島崎赤太郎で大正10年制定です。

立教池袋・立教新座 (全3番)

 芙蓉の高嶺を 雲井に望み

 紫匂へる 武蔵野原に

 いかしくそばだつ 我等が母校

 見よ見よ 立教 自由の学府

 

追記:立教池袋は立教中学校の流れで学院歌「栄光の立教」が歌われ、立教新座は「十字のみ旗」を引き続き使用しているようなのですが情報が少ないのです。新座校は最後が「…栄あれ立教 立教新座」と改訂した以外は同じと聞きますが…

このあたり、立教の方々の情報があれば嬉しいです。

 

立教女学院は立教学院とは別法人ですが、創立者が同じなので基本的な教育方針は同じとされ、立教大学の系属校扱いです。

明治10年にウィリアムズ主教によって立教女学校が文京区湯島に設立されましたが、2年後に早くも立教学校と同じ築地に移転しています。明治41年に立教高等女学校と改称し、関東大震災によって校舎が焼失したため新しい校地として杉並区久我山が選ばれて移転しました。現在は23区の西端に位置し、校地の東を除く3方向は三鷹市と武蔵野市に接しています。

学制改革で立教女学院となり、こちらも小・中・高が開学し、のちに短大も併設開学しました。

キリスト教に基づく人間教育のひとつとして人格と自由があるため制服は制定されていないそうです。また英名ではSt. Margaret´s College & Schoolsと表記されたり聖マーガレット礼拝堂やマーガレット祭のように”マーガレット”がよく使用されているのは、11世紀のスコットランド王朝の王妃マーガレットに因むとのことです。

 

立教女学院には2つの校歌があり、それぞれ第一校歌、第二校歌に位置づけられているようです。

第一校歌は「ますかがみ」という副題が付けられ、作詞:大和田建樹 作曲:上真行で明治33年制定です。
立教女学院 第一校歌 (全3番)
 火に水に きたへてのちぞ ますかがみ
 光は 身より出づるとぞ きく


ますかがみはここでは”真澄鏡”でしょうか?曇りのない心で学業に励み、自身を磨く拠り所としなさい、という意味と思われます。

 

第二校歌は作詞:小川清 作曲:側垣正己で制定年は不明です。内容からすればおそらく戦後と思われますが…
立教女学院 第二校歌 (全3番)
 遥かなる空のきわみに

 新しき 朝日はのぼる
 さわやかに風はかおりて

 武蔵野の緑は深し
 美しき 少女の願い

 栄光の園 立教女学院

 

3校とも立教大学の付属校というわけではないのですが、所定の推薦基準要件を満たせば一定数の割合で推薦を受けられる制度があります。また東大や早慶など他大学にも進学する生徒がいるなどハイレベルな学校と言ってもいいでしょう。

 

高校野球では、立教高校時代に昭和30年春と昭和60年夏の2回、甲子園に出場しています。

このうち昭和60年夏で初戦突破し、「十字のみ旗」の校歌が流れました。