大阪府私立 高槻高等学校 | 校歌の広場

校歌の広場

高校の校歌についていろいろ書き綴っています。
高校野球でも流れたりする、校歌の世界は奥深いですよ~

今回は、大阪府の高槻高校です。

とはいえ現在は高校の募集はしていない完全中高一貫校なので、正式には高槻中学・高校ということになります。

https://www.takatsuki.ed.jp/

 

高槻市は大阪府の北部、大阪市と京都市のほぼ中間に位置する歴史のある町です。

この周辺は有史以前から人が土着していた証拠に古墳や古代遺跡が多く、米作も早くから始まっていたようです。キリシタン大名として有名な高山右近もここを本拠としていたそうです。

近世には京と大坂の間にあることから宿場町や交通の要衝として栄え、現在もベッドタウンとして人口が増加しています。

 

学校はJR高槻駅・阪急高槻市駅から南東徒歩圏内と通学に至便な場所にあります。

昭和15年創立・翌年に旧制高槻中学校として開校し、昭和23年に新制中学と高校を併設する形で現校名となりました。

大阪府下では新設された府立高校にその土地の地名を冠する方針があり、高槻市でも「高槻高校」の名を府立高校に”返上”せよという要請があったようですが高槻高校側が突っぱねてそのまま現在に至っています。昭和26年に高槻市初の府立高校として島上高校が開校していますが、おそらくこれが高槻高校と名付けられた可能性はありますね。

北摂地域の中高一貫の進学校として有名で、特に医学部に進学する生徒が多いようです。

 

長らく学校主導の正式な校歌が無かったのはあえて作られなかったのか事情が不明ですが、校歌に準ずる歌として「生徒歌」が歌われてきました。

生徒歌は作詞:吉川昇 作曲:早崎清忠 編曲:服部克久で、制定年は不明ですが旧制時代なのではないかと思います。
高槻中・高槻高校 生徒歌 (全4番)
 花に明けゆく桜井の
 霞に続く金剛や
 しげき浪速の夢の跡
 はるけき目路に浮かび来る
 思ひぞ長き我が胸の
 この高鳴りを如何にせん

 

冒頭の3行は大阪の歴史を表したものといえましょう。

花に明けゆく桜井の」は植物のサクラの他に古代の律令制の駅家・桜井駅を指し、楠木正成・正行父子の決別”桜井の別れ”をも暗示しているようです。「霞に続く金剛や」は大阪府南部の金剛山でしょう。楠木正成生誕や歴戦の城跡、楠木氏ゆかりの神社など、ここも楠木正成と関係が深い土地です。「しげき浪速の夢の跡」は豊臣秀吉の辞世の句と言われる「露と落ち、露と消えにし我が身かな、浪速のことは夢のまた夢」を取り入れたのでしょうか。豊臣氏の短い栄華は大坂とともにありました。

はるけき目路に浮かび来る…」とこうした歴史を偲ぶとき、英雄たちが気勢を上げたであろう大阪の地で若者たちも血が騒ぎ高揚感がする…と歌っているのだと思います。

戦前はいわゆる楠公崇拝が盛んだったことから、校章「山桜に菊水」とこのような校歌ができたのではないかと思われます。

 

創立以来長らくこの”生徒歌”が実質的な校歌として歌われてきましたが、学園創立70周年記念として近年ついに正式な校歌が制定されました。

平成に入ってからの少子化や私学を取り巻く環境が厳しくなってきたことから、創立70周年から学校改革を進めてきたということです。その端緒として正式な校歌の制定につながったのでしょう。

校歌は作詞:有馬朗人 作曲:服部克久で平成22年制定です。なお、生徒歌は別途そのまま歌われています。
高槻中・高槻高校 校歌 (全3番)
 高槻は太陽の光みなぎり
 英知溢れる 学舎
 我等 真面目に知性を磨き
 日本を豊かな希望で満たそう
 ああ高槻 我等が母校