ブログ開設からの年数とかとは全く関係ありません。。

また、今日の記事は自分の身の上の事について長文のみですの興味の無い方は
スルーして下さい。




今年もまたこの日を無事に迎える事が出来、昨年20歳の集いに参加する事が
出来る歳になりました(笑)

本当の歳は今年9月で64歳になります。

私にとっては21年前の今日5月28日が

「生かされた運命の日」

であることを一生涯決して忘れません。



「私の生きざま」

を最近ご訪問頂いた方、そしてフォローして下さった方で私の事をよく知らない
皆様の為、そして自分への反省の意味やモチベーション維持の為に生きている
限り、ブログを続けている限りこの事について前ブログから毎年書かせて
頂いております。

尚、内容についてお気に召さない方がいらっしゃると思います。
どうぞフォローを解除して頂いて結構です。
私とはご縁が無かったものと思って常に割り切っております。



21年前の今日5月28日、私は2台の車に巻き込まれる交通事故に遭いました。

バイクで片側2車線の国道を走行中に側道から飛び出してきた乗用車と衝突し
その反動で中央車線に投げ飛ばされ、道路に叩きつけられたところに
12トンのダンプにさらに轢かれました。

病院に運ばれた時には出血多量で緊急の輸血、肺の一部が破裂そして全身の
いたるところを骨折、特に両下肢は高度挫滅と呼ばれるどうしようも無い状態
でした。

遠のく記憶の中で医師から

「右下腿の回復の見込みは無いが切断しても良いか?」

との医師からの問いに、それしか選択肢が無いのなら・・・と
遠のく記憶の中で頷いていた様です。。

その後は生死を彷徨っていたようで、目が覚めたのは事故から3日後でした。。

目が覚めると全身のいたるところが骨折して激痛が走り、

肺に血が溜まってドレーンが留置され、絶対安静状態で

ICUに何日間も入れられていた事を今でも鮮明に覚えております。

骨盤が真っ二つに割れて自分の身体を全く動かせない、動かそうとすると
激痛が走り結局は寝たきりの状態が3ヶ月以上続きました。。

もちろん、五体満足で何不自由なかった自分が突然この様な状態になって
自暴自棄になり、精神的におかしくなりそうになりました。


「何で自分がこんな目に遭わなきゃいけないんだ!!」


しかし、医師からのその後の私の人生・生き方を変える一生忘れらない言葉



「あなたは運が良いほうです。あと1秒いやあとコンマ1秒早くても遅くても

頭やお腹を踏まれた筈。私は交通事故で何人もその様な悲惨な患者さんを見てきた」



私は悟りました。


「私は生かされた運命の人間であり、この様な事になるのは宿命だったんだ」



そして

「神様は辛い事に耐えられる人間に生きる道を選んで下さった」

とも(私は宗教団体とは一切ご縁がございません。念の為)


 私はその生かされた運命と言う心の支えがあったからこそ、何十回の手術、
決して言葉では表す事が出来ない壮絶なリハビリにも耐え、

車椅子から義足を装着して荷重を均等に掛けられる様に片足づつ体重計の載り

半荷重状態を頭に叩き込ませる訓練、平行棒を使った歩行訓練
歩行器から両松葉杖になり今度は両松葉での階段歩行訓練、

この時点で退院が出来ました。
 

そして何年か掛けて片杖から最後には何も持ったり付けたりしなくても

歩けるになり今日も歩き続けております。

急に出来るものではなく、本当に毎日少しづつ前進してきました。

しかし、最近では加齢と共に歩く速度や転倒してしまう事が増えてきました。
健常の方より人一倍努力しないと普通に歩けない事を悟りました。



過去の色々な出来事にについては昨年を境に
詳しく述べるのはもう止めています



知りたい方は一昨年のリンクをご覧になって下さい。

 

 

 

 


禍福は糾える縄の如し


この21年で色々な苦難に直面しましたが、少しづつ乗り越えて
人にも恵まれ良い方向に向かっている事を実感しております。


[私の本当の姿]

*事故当日右下腿切断
*左足の足首から先はほぼ自分の体の一部を使ったつくりもの
   (足底は筋肉ごと移植した皮膚、足の甲は左足やお尻の皮膚を
   メッシュ状にして移植、左足親指と小指の欠損)
*移植元の皮膚(背中)は醜状痕と呼ばれる大きな傷跡が残存
*医者からは杖を突いて歩け、また無理に歩くなと言われている

この様な事から私には生涯に渡って重い障害を両足に抱えたまま生きるのが
やっとと言うのが本当の姿です。
皆様にとって何でもないことが私には凄く大変なことでもあったりします。


 でも、不屈の精神で

「やろう出来る!!」

と言う考え方でこれからも一歩づつ前に進もうと思っています。

そしてこれからも色々な事にチャレンジしていこうと思います。。


[去年出来た事]

*下地島17ENDマラソン7キロメートル規定時間内完走

*久米島マラソン5キロメートル規定時間内完走

*横田基地(フロストバイト)5キロメートル規定時間内完走


[今年やろうとしている事]

*マラソン
 マラソンは参加する事に意義があると思い久米島・下地島17ENDマラソンは
 モチベーション維持の為に今年も参加するつもりです。

      (ほぼウォーキングですが・・・汗)

*オートバイでツーリング
 GL1800で北海道を走るのが私の夢でした
 今年はその機会に恵まれましたので北海道の原野を走ることを今から楽しみにして 

     おります。
 この件に関しては家内に呆れられたのと同時に先日書きましたが

     生命保険の確認をされました(笑)


*山登り
 大山に再度チャレンジしようと思っています。
 前回岩がゴツゴツした山道で背中から落ちてケガをしたと事を家内に話をしたら
 一人では登山禁止と言われ今に至っています。
 
 誰かこんな私と一緒に登ってくれる方がいらっしゃれば有難いです(笑)
 (普通の方の2倍の時間が掛かります)

*スキー
 健常者の頃はどこでも(たとえコブ斜面でも)どんな姿勢でも転ばない自信が

     ありました。 しかし、今のカービングスキーの技術を体得出来ていません。
 そして何回目かスキーに行った時に転び方が悪かったのか

     スキーから帰った何日か後に 股関節に激痛が走り病院に行ったら、 

 右腸腰筋膿瘍(股関節の筋肉に膿が溜まっている)と診断され即入院

 それ以来家内から一人でスキーは禁止と言われこちらも今に至っています(笑)

 誰か・・・

 私をスキーに連れてって!(笑)


家族の事についてはこの先も毎年書かせて頂きます。


[家族の事]

 私の大切な家族、まずは家内の事。

私の生死が分からないまま病院に来て、不安なままの3日間、その後私が目が
覚めた時に見た家内の涙を流した顔、そして退院まで献身的に私を励まし続け
くれた事この先、私が死ぬまで一生忘れません。
特に左足底の皮膚移植手術の前に、医師からは最悪の場合左足も切断するか
もしれないと告げられておりました。

さすがにその夜はもし両下肢切断になったら・・・・と思って

一睡も出来ませんでした。
それを察してか夜中に家内からメールが来ました。


「大丈夫、たとえ両足が無くて車イスになっても私が色々なところに連れて
行ってあげるから!」


との励ましのメールでした。

明日、自分の両足が無くなるかもと言う精神的に極限の状態でのこのメール・・・、本当に涙が止まらず、もし私が退院したあかつきには家内にも恩返ししようと

心に誓ったのがこの時でした。

そして子供達には車いすに乗れる様になるまで黙っている様に

家内にお願いしておりました。

それは、父親が集中治療室でいくつもの点滴を繋がれていて、身動き出来ない
状態を幼い子供の目に絶対焼き付けさせたくなかったからです。


3か月後に車いすの姿で再会した時子供達は最初はビックリし涙を流しておりましたが

「お父さん生きていてくれてありがとう!!」

私はここでも涙が止まりませんでした。

この子供たちの言葉そして献身的な家内の支えがあったからこそ
 辛い苦難を乗り越える事が出来たと思います。

この様な不運(不幸とは思っていません)な出来事があったからこそ、
我が家は他の普通のご家族より絆が深くなったものと私は思っております。

感謝の気持ち、自分を奮い立たせる為に家族の事はこれからも書き続けます。


仕事の事についても働いている間は書き続けようと思います。


[仕事の事]

父親として「働かざる者食うべからず」と言うのが私の信念であります。

一生懸命働いて子供達を養うのが父親としての当然の責務と考えております。
それを家族が分かってくれているので私が仕事を終え家に帰ると必ず家族が
「おかえり~」と今でも温かく迎えてくれます。。

何よりも嬉しい事です。

子供たちは既に社会人のとして働いております。

私の親としての子供を養う役目は既に終えたも同然ですが、
ボケない様に働けるうちは頑張って働き、社会に少しでも貢献できればと
思って今も仕事を続けております。

現在も再雇用として働かせて頂いておりますが上司より年々重責を任される様に
なりました。
自分にとってやりがいがある仕事が出来て嬉しい限りです。
ただ、会社の規定では65歳で定年になり卒業する可能性が高くなりましたが
何らかの形でどんな事でも良いので仕事を続けようと思っております。


生涯現役が私の目標です!




[価値観の違いを尊重する]

我が家はあまり夫婦一緒に行動しません。(旅行等)
私と家内では価値観が違います。家内は飛行機等に全く興味が無く、
コンサートなどを楽しむための旅行が主体です。

私はどちらかと言うとまだ見ぬ世界の色々な所に行ってみたいと思っており、
飛行機旅を楽しみながら旅行する事がメインです。

価値観の違い・・・、例えばJ-POPのコンサートチケットに

10万円をかけて何度も観ると言うのが私には理解できない様に、
家内も羽田ーバンコク等にビジネスクラスを10万円かけて
行く事が出来ないと言う事と同じ様なものです。

同じ10万円でもお互いその価値観が違います。

ただ我が家ではお互いの価値観の違いを否定するのではなく尊重し、
今まで人の何倍も苦労して来た分、今を楽しく生きようと言う事でお互いの
決められた予算の中である程度自由に活動出来る様にしております。

私の場合この先いつ歩けなくなるか分からない状態で今を必死に生きております。
家内のあのメールの文章は生涯忘れる事はありませんが、自分で動けるうちに
色々な所に行きたいと常々思って行動しております。
(その点を理解してくれている家内に感謝しております)



[ブログの存在]

コロナ禍で、一時中断していた海外や国内でのオフ会が復活し始めました。
ネガティブに物事を考えるのではなく、ポジティブな考え方をする事が大切だと
常々思っており、コロナ禍でも感染対策さえしっかり行えばそれは通用すると
思っておりました。

私の事を分かっていて色々な所でお声掛け下さったり、 旅行に誘って下さったり
する方が大勢いらっしゃる事、そして私に席を譲って下さったりしてお気遣い
下さる方も大勢いらっしゃて本当に有難く感謝の気持ちで一杯です。

ここ数年沢山のブロガーさんと色々なところでお会いしてお話が出来る事が
私にとって大変楽しみであり、毎回ワクワクしながらその時を待っております。

こんな私の様な人間でも明るく前向きに生きていくことが出来ます。

いや、生きて行かなければいけないのです。

また私はブログでは泣き言や恨み辛みは書かない様にしています。
そんな事を書いても何の解決にもならないからです。

人それぞれ考え方があると思いますが、ブログは自分の不満のはけ口では
無いと思っておりますし、そんな記事を目にしたくありません。
 (今回を除いて・・・)


私のブログがホンの少しでも皆様の何かのお役に立てる事が出来ましたなら
幸いです。





私の座右の銘


「我が人生反省すれど後悔無し」



最後までお読み頂きありがとうございました。






大魔王