ブログ開設からの年数とかとは全く関係ありません。。
また、今日の記事は自分の身の上の事について長文のみですの興味の無い方は
スルーして下さい。
今年もまたこの日を無事に迎える事が出来、やっと20歳の集いに参加する事が
出来る歳になりました(笑)
私にとっては20年前の今日5月28日が
「生かされた運命の日」
であることを一生涯決して忘れません。
「私の生きざま」
を最近ご訪問頂いた方、そしてフォローして下さった方で私の事をよく知らない
皆様の為、そして自分への反省の意味やモチベーション維持の為に生きている
限り、ブログを続けている限りこの事について前ブログから毎年書かせて
頂いております。
尚、内容についてお気に召さない方はどうぞフォローを解除して頂いて
結構です。私とはご縁が無かったものと思って常に割り切っております。
20年前の今日5月28日、私は2台の車に巻き込まれる交通事故に遭いました。
バイクで片側2車線の国道を走行中に側道から飛び出してきた車と衝突し
その反動で中央車線に投げ飛ばされ、道路に叩きつけられたところに
12トンのダンプにさらに轢かれました。
病院に運ばれた時には出血多量で緊急の輸血、肺の一部が破裂そして全身の
いたるところを骨折、特に両下肢は高度挫滅と呼ばれるどうしようも無い状態
でした。
遠のく記憶の中で医師から
「右下腿の回復の見込みは無いが切断しても良いか?」
との医師からの問いに、それしか選択肢が無いのなら・・・と
遠のく記憶の中で頷いていた様です。。
その後は生死を彷徨っていたようで、目が覚めたのは事故から3日後でした。。
全身のいたるところが骨折して絶対安静の日が何日も続き、
ICUに何日間も入れられていた事を今でも鮮明に覚えております。。
骨盤が真っ二つに割れて自分の身体を全く動かせない、動かそうとすると
激痛が走り結局は寝たきりの状態が3ヶ月以上続きました。。
もちろん、五体満足で何不自由なかった自分が突然この様な状態になって
自暴自棄になり、精神的におかしくなりそうになりました。
「何で自分がこんな目に遭わなきゃいけないんだ!!」
しかし、医師からのその後の私の人生・生き方を変える一生忘れらない言葉
「あなたは運が良いほうです。あと1秒いやあとコンマ1秒早くても遅くても
頭やお腹を踏まれた筈。私は交通事故で何人もその様な悲惨な患者さんを見てきた」
私は悟りました。
「私は生かされた運命の人間であり、この様な事になるのは宿命だったんだ」
そして
「神様は辛い事に耐えられる人間に生きる道を選んで下さった」
とも(私は宗教団体とは一切ご縁がございません。念の為)
私はその生かされた運命と言う心の支えがあったからこそ、何十回の手術、
決して言葉では表す事が出来ない壮絶なリハビリにも耐え、車椅子から歩行器、
歩行器から両松葉杖、そして片杖から最後には何も補助具を持ったり付けたり
しなくても歩けるになり今日も歩き続けております。
急に出来るものではなく、本当に毎日少しづつ前進してきました。
過去の色々な出来事にについては20年経ったのを機に、
詳しく述べるのはもう止めます。
知りたい方は昨年のリンクをご覧になって下さい。
禍福は糾える縄の如し
この20年で色々な苦難に直面しましたが、少しづつ乗り越えて
人にも恵まれ良い方向に向かっている事を実感しております。
[私の本当の姿]
*事故当日右下腿切断
*左足の足首から先はほぼ自分の体の一部を使ったつくりもの
(足底は筋肉ごと移植した皮膚、足の甲は左足やお尻の皮膚を
メッシュ状にして移植、左足親指と小指の欠損)
*移植元の皮膚(背中)は醜状痕と呼ばれる大きな傷跡が残存
*医者からは杖を突いて歩け、また無理に歩くなと言われている
この様な事から私には生涯に渡って重い障害を両足に抱えたまま生きるのが
やっとと言うのが本当の姿です。
皆様にとって何でもないことが私には凄く大変なことでもあったりします。
でも、不屈の精神で
「やろう出来る!!」
と言う考え方でこれからも一歩づつ前に進もうと思っています。
そしてこれからも色々な事にチャレンジしていこうと思います。。
去年は下地島の17ENDで7キロメートルと言う自分自身でも走った事がない
距離のマラソンに参加し、時間は掛かりましたが完走しました。
途中で何度も諦めようとしましたが、「やろう出来る!!」を何度も自分に
言い聞かせ何とかゴールで来ました。
何年か前では全く考えられませんでした。
これからは、減量して足に負担が掛からない様にするのと同時に
もう少しジョギングやウォーキングに励みたいと思います。
家族の事についてはこの先も毎年書かせて頂きます。
[家族の事]
私の大切な家族、まずは家内の事。
私の生死が分からないまま病院に来て、不安なままの3日間、その後私が目が
覚めた時に見た家内の涙を流した顔、そして退院まで献身的に私を励まし続け
くれた事この先、私が死ぬまで一生忘れません。。
特に左足底の皮膚移植手術の前に、医師からは最悪の場合左足も切断するか
もしれないと告げられておりました。
さすがにその夜は眠れなかったのですが、察してか夜中に家内からメールが
来ました。。
「大丈夫、たとえ両足が無くて車イスになっても私が色々なところに連れて
行ってあげるから!」
との励ましのメールでした。。
明日、自分の両足が無くなるかもと言う精神的に極限の状態でのこのメール・・・、本当に涙が止まらず、もし私が退院したあかつきには家内にも恩返ししようと
心に誓ったのがこの時でした。
そして子供達には車いすに乗れる様になるまで黙っている様に家内にお願いして
おりました。
それは、父親が集中治療室でいくつもの点滴を繋がれていて、身動き出来ない
状態を幼い子供の目に焼き付けさせたくなかったからです。
3か月後に車いすの姿で再会した時子供達は最初はビックリし涙を流して
おりましたが
「お父さん生きていてくれてありがとう!!」
私はここでも涙が止まりませんでした。
この子供たちの言葉そして献身的な家内の支えがあったからこそ
辛い苦難を乗り越える事が出来たと思います。
この様な不運(不幸とは思っていません)な出来事があったからこそ、
我が家は他の普通のご家族より絆が深くなったものと私は思っております。
感謝の気持ち、自分を奮い立たせる為に家族の事はこれからも書き続けます。
仕事の事についても働いている間は書き続けようと思います。
[仕事の事]
父親として「働かざる者食うべからず」と言うのが私の信念であります。
一生懸命働いて子供達を養うのが父親としての当然の責務と考えております。
それを家族が分かってくれているので私が仕事を終え家に帰ると必ず家族が
「おかえり~」と今でも温かく迎えてくれます。。
何よりも嬉しい事です。
子供たちは既に社会人の一員として働いております。
私の親としての子供を養う役目は終えたも同然ですが、
ボケない様に働けるうちは頑張って働き、社会に少しでも貢献できればと
思って今も仕事を続けております。
数年前事業縮小による前職からの離職後、路頭に迷う様な状態に陥りましたが、
幸い私を拾ってくれた今の会社。既に拾ってくれた上司は恩返しが出来ないまま
卒業されてしまいましたが、今でも感謝の気持ちを忘れません。
今の会社に就職した時は300名程度の会社でしたが、合併を繰り返し
気が付いたら従業員数万人もいる会社になっていました。
現在も再雇用として働かせて頂いておりますが上司より年々重責を任される様に
なりました。
自分にとってやりがいがある仕事が出来て嬉しい限りです。
もし、前職にしがみついていたら、再雇用はおろか60歳で無職になって
いたかもと考えると私はここでも人や会社に恵まれるいると改めて思った
次第です。
生涯現役が私の理想です!
[価値観の違いを尊重する]
我が家はあまり夫婦一緒に行動しません。(旅行等)
私と家内では価値観が違います。家内は飛行機等に全く興味が無く、
コンサートなどを楽しむための旅行が主体です。
私はどちらかと言うとまだ見ぬ世界の色々な所に行ってみたいと思っており、
飛行機旅を楽しみながら旅行する事がメインです。
価値観の違い・・・、例えばJ-POPのコンサートチケットに
10万円をかけて何度も観ると言うのが私には理解できない様に、
家内も羽田ーバンコク等にビジネスクラスを10万円かけて
行く事が出来ないと言う事と同じ様なものです。
同じ10万円でもお互いその価値観が違います。
ただ我が家ではお互いの価値観の違いを否定するのではなく尊重し、
今まで人の何倍も苦労して来た分、今を楽しく生きようと言う事でお互いの
決められた予算の中である程度自由に活動出来る様にしております。
私の場合この先いつ歩けなくなるか分からない状態で今を必死に生きております。
家内のあのメールの文章は生涯忘れる事はありませんが、自分で動けるうちに
色々な所に行きたいと常々思って行動しております。
(その点を理解してくれている家内に感謝しております)
[ブログの存在]
コロナ禍で、一時中断していた海外や国内でのオフ会が復活し始めました。
ネガティブに物事を考えるのではなく、ポジティブな考え方をする事が大切だと
常々思っており、コロナ禍でも感染対策さえしっかり行えばそれは通用すると
思っておりました。
私の事を分かっていて色々な所でお声掛け下さったり、 旅行に誘って下さったり
する方が大勢いらっしゃる事、そして私に席を譲って下さったりしてお気遣い
下さる方も大勢いらっしゃて本当に有難く感謝の気持ちで一杯です。
ここ数年沢山のブロガーさんと色々なところでお会いしてお話が出来る事が
私にとって大変楽しみであり、毎回ワクワクしながらその時を待っております。
こんな私の様な人間でも明るく前向きに生きていくことが出来ます。
いや、生きて行かなければいけないのです。
また私はブログでは泣き言や恨み辛みは書かない様にしています。
そんな事を書いても何の解決にもならないからです。
人それぞれ考え方があると思いますが、ブログは自分の不満のはけ口では
無いと思っておりますし、そんな記事を目にしたくありません。
(今回を除いて・・・)
私のブログがホンの少しでも皆様の何かのお役に立てる事が出来ましたなら
幸いです。
私の座右の銘
「我が人生反省すれど後悔無し」
最後までお読み頂きありがとうございました。
大魔王