病院を変える
結局、2週間を待たずに1週間後病院へ行った。
その総合病院には膠原病科がないことも知ったので、膠原病の専門科がある他の病院に移りたいと伝えたくて。紹介状を書いて下さいとお願いをした。
先生も同じことを考えていた。紹介状は翌週までに用意してくれることになった。
前回の検査結果も出ていた。結果では、今は抗体の活動期だということだった。
病気はSLEで確定となった。
7月の終わりだった。
最後の診察でも、あの問診看護士がいた。とても忙しそうにバタバタしていたが、私の診察中は何度も足を止め、カーテンの影から様子をうかがっていた。
私は先生に、最後だからと、最初の日、あの看護士に言われたことを告げた。
先生は気弱そうに
「本当にごめんなさい。申し訳ないことをしました。」
と言った。
紹介状を持って別の病院に行ったのは8月の始め。
散々待って、やっと先生と対面した。
ここで初めて、自分の病気の真相を知る。SLEについてはインターネットで嫌という程情報を得ていたが、先生はあまり詳しく話してはくれなかった。それはそうだろうと今なら思う。この病気は100人の患者がいれば、100通りの症状があると言われる程、人によって症状は様々なのだ。
先生は
・薬で症状を抑えることで日常生活は十分に送れること
・紫外線で症状が悪化するので、日光は極力避けること
・ストレスと疲れを、とにかく溜めないこと!!!!(ここ、強調)
・お酒も食事も普通にとって良し
ということだけを生活の注意として教えてくれた。
この病院に行った日は体調が悪く、頭痛と背中の痛みと関節の痛みがあったが、頭痛と背中に関しては疲れだろうということだった。
先生の診察の前に問診があり、かなり時間をかけてじっくり症状を聞かれた。手や足を動かしてみて痛くないかと確認され、血圧を測ったりもした。前の病院がアレだっただけに、今回の病院にして良かったと心から思った。
これだけなら、病気の真相とは書かない。
真相とは、既に合併症が起きているという事実だった。
その総合病院には膠原病科がないことも知ったので、膠原病の専門科がある他の病院に移りたいと伝えたくて。紹介状を書いて下さいとお願いをした。
先生も同じことを考えていた。紹介状は翌週までに用意してくれることになった。
前回の検査結果も出ていた。結果では、今は抗体の活動期だということだった。
病気はSLEで確定となった。
7月の終わりだった。
最後の診察でも、あの問診看護士がいた。とても忙しそうにバタバタしていたが、私の診察中は何度も足を止め、カーテンの影から様子をうかがっていた。
私は先生に、最後だからと、最初の日、あの看護士に言われたことを告げた。
先生は気弱そうに
「本当にごめんなさい。申し訳ないことをしました。」
と言った。
紹介状を持って別の病院に行ったのは8月の始め。
散々待って、やっと先生と対面した。
ここで初めて、自分の病気の真相を知る。SLEについてはインターネットで嫌という程情報を得ていたが、先生はあまり詳しく話してはくれなかった。それはそうだろうと今なら思う。この病気は100人の患者がいれば、100通りの症状があると言われる程、人によって症状は様々なのだ。
先生は
・薬で症状を抑えることで日常生活は十分に送れること
・紫外線で症状が悪化するので、日光は極力避けること
・ストレスと疲れを、とにかく溜めないこと!!!!(ここ、強調)
・お酒も食事も普通にとって良し
ということだけを生活の注意として教えてくれた。
この病院に行った日は体調が悪く、頭痛と背中の痛みと関節の痛みがあったが、頭痛と背中に関しては疲れだろうということだった。
先生の診察の前に問診があり、かなり時間をかけてじっくり症状を聞かれた。手や足を動かしてみて痛くないかと確認され、血圧を測ったりもした。前の病院がアレだっただけに、今回の病院にして良かったと心から思った。
これだけなら、病気の真相とは書かない。
真相とは、既に合併症が起きているという事実だった。
あやふやに病名告知
2週間後、また病院に行った。
今度は予約確認の電話は来なかった。今思えば、あの最初の予約を確認する電話は、伝えなくてはいけない事態が発生していたからだったのだろう。
毎度待たされるので文庫本を持って行った。予想外に1冊読み終わってしまった。
ちょっと気弱そうに笑う女医さんが、その日も私の向かいに座っていた。
「検査結果から、おそらく膠原病だと思われるの。多分SLEという病気です。この病気は体内に抗体が出来て、普通抗体って言うのは風邪をひいた時なんかに風邪の病原菌を倒す役割をするのだけど、この病気の場合は自分の体を敵だと思って自分で傷つけてしまうのね。おそらく足の内出血は、そうして内部で傷つけ合って出来たものだと思う。」
先生はそう言いながら、私の血液検査の結果用紙にSLEと書き込んだ。
幾つかの数値に◯をつけた。それらは全て、基準値を驚く程大幅に超えていた。
それ以上は困ったような表情で説明してくれない先生に、
「その結果用紙下さい。」
と言ってもらってきた。
先生はまた検査することを告げた。今度の検査は、病気の進行状況を見るということだ。
その日もあの問診看護士が、カーテンの影から私を見ていた。深刻な面持ちで。
親に結果を報告した。
この世の終わりのような落胆が、電話の向こうから伝わってきた。
知りたくなかった、けれど知らなくてはいけなかった事実。
親の落胆する姿が見えるようで、私はそれが一番ショックだった。
自分の病気よりも、親の苦しみを考えて一番ショックだった。
自宅に戻り、インターネットでSLEを検索した。
難病・国の特定疾患・全身に症状が出る・髪が抜ける・薬の副作用も大きい・20年前なら5年生存率50%・・・。
情報は溢れ、私の頭に収まりきらなかった。
先生はあやふやにSLEだと私に告げただけだし、本当にこんな大きな病気なら、もっとちゃんと告知されるんじゃないの?まだ確定してないんでしょ??
毎日毎日、不安で押しつぶされそうだった。
次の診察日はまた2週間後だったが、もう待ちきれなかった。確定なら確定とハッキリ言ってもらわないと、ノイローゼになりそうだった。
今度は予約確認の電話は来なかった。今思えば、あの最初の予約を確認する電話は、伝えなくてはいけない事態が発生していたからだったのだろう。
毎度待たされるので文庫本を持って行った。予想外に1冊読み終わってしまった。
ちょっと気弱そうに笑う女医さんが、その日も私の向かいに座っていた。
「検査結果から、おそらく膠原病だと思われるの。多分SLEという病気です。この病気は体内に抗体が出来て、普通抗体って言うのは風邪をひいた時なんかに風邪の病原菌を倒す役割をするのだけど、この病気の場合は自分の体を敵だと思って自分で傷つけてしまうのね。おそらく足の内出血は、そうして内部で傷つけ合って出来たものだと思う。」
先生はそう言いながら、私の血液検査の結果用紙にSLEと書き込んだ。
幾つかの数値に◯をつけた。それらは全て、基準値を驚く程大幅に超えていた。
それ以上は困ったような表情で説明してくれない先生に、
「その結果用紙下さい。」
と言ってもらってきた。
先生はまた検査することを告げた。今度の検査は、病気の進行状況を見るということだ。
その日もあの問診看護士が、カーテンの影から私を見ていた。深刻な面持ちで。
親に結果を報告した。
この世の終わりのような落胆が、電話の向こうから伝わってきた。
知りたくなかった、けれど知らなくてはいけなかった事実。
親の落胆する姿が見えるようで、私はそれが一番ショックだった。
自分の病気よりも、親の苦しみを考えて一番ショックだった。
自宅に戻り、インターネットでSLEを検索した。
難病・国の特定疾患・全身に症状が出る・髪が抜ける・薬の副作用も大きい・20年前なら5年生存率50%・・・。
情報は溢れ、私の頭に収まりきらなかった。
先生はあやふやにSLEだと私に告げただけだし、本当にこんな大きな病気なら、もっとちゃんと告知されるんじゃないの?まだ確定してないんでしょ??
毎日毎日、不安で押しつぶされそうだった。
次の診察日はまた2週間後だったが、もう待ちきれなかった。確定なら確定とハッキリ言ってもらわないと、ノイローゼになりそうだった。
止血時間
正直、あの看護士の一言でその病院に行くのはやめようかと思ったのだけど、仕事も忙しい中また他の病院にかかるのも面倒だったのでそのまま行くことにした。血液検査の結果できっと何も出なくて、
「仕事が忙しいことによる疲れかな?栄養とってよく休んで。」
くらいで終わるだろうと思っていた。
初診から10日後に次の診察の予約をとっていた。これで次は最初ほど待たなくてもいいはず。
初診から8日目くらいに病院から携帯に電話があった。
「◯日に予約が入っておりますので必ずご来院下さい」
とのこと。ちゃんと予約は覚えてるから大丈夫なのに、几帳面だなぁと思った。あんな総合病院でこんなことやってたら大変だろうに。
そして予約日、病院に行った。予約していてもやっぱり数十分待って、待ちくたびれた頃に診察室に入ることが出来た。
先生はまず私の足を見た。その頃には内出血はほとんど消えていたから
「あ、大丈夫そうだね。検査結果も何もなかったから様子を見ましょう。」
と言うものだと思っていた。
しかし先生の口からは意外な言葉が飛び出した。
「えーっとね、ちょっと検査結果で気になる数値が出ているの。もうちょっと調べた方がいいので、今日も採血させてもらえるかな?」
「え?そうなんですか?」
「うん・・・。もしかしたら、膠原病っていう病気かも知れない。」
「こうげんびょう?」
「まだ詳しくわからないから、もう少し調べさせて。」
今思えばこの時から先生は濁し濁し話していて、結局最後までハッキリと私の症状を話してはくれなかったのだった。
この診察の時、あの問診看護士が後ろにいた。前回とは全然違う表情で、口を真一文字に結んでこちらを見ていた。
血液を採ってもらう時、担当してくれた人に
「何か手術でも受けられるんですか?」
と聞かれて驚いた。
「いいえ。この検査はそういう検査なんですか?」
「あ、違うんですね。この検査は普通あまりやらないから。手術前などにやることが多いんですよ。」
そう言って、私の耳たぶに小さな傷を付けた。そこから出る血が止まる時間を調べる検査だった。標準時間がどれくらいかわからないが、そう長くないと聞いていた。しかしなかなか血は止まらない。色々雑談しながら時間は過ぎる。
結果は、6分半だった。
その日は他に採血もして帰ってきた。
仕事を抜けてきていたので、予定より帰社時間が遅くなると会社に電話をした時、電話の向こうで同僚が
「え?大丈夫ですか?」
と聞いてくれた。自分でもなんでまた検査なのかわからなくて不思議だったので
「大丈夫大丈夫」
と答えた気がする。
その日、仕事が終わって帰ってきて、インターネットで検査結果の標準時間を調べてみた。検査を担当した人が
「ちょっと長いね。出血傾向があるみたい。」
と言っていたのが気になって。
標準時間はサイトによって多少違いがあるものの、2~5分だった。
私の結果は、明らかに標準時間を超えていた。
どのサイトにも、聞き覚えのある怖い病気の名前と、聞いたことのない病気の名前がずらっと書かれていた。それらを他人事のように眺めた。
親に検査の様子を話すと、電話の向こうの声が曇った。
「もしかしたらと思ってたけど、血友病か膠原病かもしれないな。なんてことだ・・・。」
親の口から先生が言うのと同じ、『こうげんびょう』という名前が出て驚いた。
親はとても心配性なので、この時点で既に最悪の事態を考えていたのだと思う。
娘が、難病患者になったかもしれないということを。
「仕事が忙しいことによる疲れかな?栄養とってよく休んで。」
くらいで終わるだろうと思っていた。
初診から10日後に次の診察の予約をとっていた。これで次は最初ほど待たなくてもいいはず。
初診から8日目くらいに病院から携帯に電話があった。
「◯日に予約が入っておりますので必ずご来院下さい」
とのこと。ちゃんと予約は覚えてるから大丈夫なのに、几帳面だなぁと思った。あんな総合病院でこんなことやってたら大変だろうに。
そして予約日、病院に行った。予約していてもやっぱり数十分待って、待ちくたびれた頃に診察室に入ることが出来た。
先生はまず私の足を見た。その頃には内出血はほとんど消えていたから
「あ、大丈夫そうだね。検査結果も何もなかったから様子を見ましょう。」
と言うものだと思っていた。
しかし先生の口からは意外な言葉が飛び出した。
「えーっとね、ちょっと検査結果で気になる数値が出ているの。もうちょっと調べた方がいいので、今日も採血させてもらえるかな?」
「え?そうなんですか?」
「うん・・・。もしかしたら、膠原病っていう病気かも知れない。」
「こうげんびょう?」
「まだ詳しくわからないから、もう少し調べさせて。」
今思えばこの時から先生は濁し濁し話していて、結局最後までハッキリと私の症状を話してはくれなかったのだった。
この診察の時、あの問診看護士が後ろにいた。前回とは全然違う表情で、口を真一文字に結んでこちらを見ていた。
血液を採ってもらう時、担当してくれた人に
「何か手術でも受けられるんですか?」
と聞かれて驚いた。
「いいえ。この検査はそういう検査なんですか?」
「あ、違うんですね。この検査は普通あまりやらないから。手術前などにやることが多いんですよ。」
そう言って、私の耳たぶに小さな傷を付けた。そこから出る血が止まる時間を調べる検査だった。標準時間がどれくらいかわからないが、そう長くないと聞いていた。しかしなかなか血は止まらない。色々雑談しながら時間は過ぎる。
結果は、6分半だった。
その日は他に採血もして帰ってきた。
仕事を抜けてきていたので、予定より帰社時間が遅くなると会社に電話をした時、電話の向こうで同僚が
「え?大丈夫ですか?」
と聞いてくれた。自分でもなんでまた検査なのかわからなくて不思議だったので
「大丈夫大丈夫」
と答えた気がする。
その日、仕事が終わって帰ってきて、インターネットで検査結果の標準時間を調べてみた。検査を担当した人が
「ちょっと長いね。出血傾向があるみたい。」
と言っていたのが気になって。
標準時間はサイトによって多少違いがあるものの、2~5分だった。
私の結果は、明らかに標準時間を超えていた。
どのサイトにも、聞き覚えのある怖い病気の名前と、聞いたことのない病気の名前がずらっと書かれていた。それらを他人事のように眺めた。
親に検査の様子を話すと、電話の向こうの声が曇った。
「もしかしたらと思ってたけど、血友病か膠原病かもしれないな。なんてことだ・・・。」
親の口から先生が言うのと同じ、『こうげんびょう』という名前が出て驚いた。
親はとても心配性なので、この時点で既に最悪の事態を考えていたのだと思う。
娘が、難病患者になったかもしれないということを。